映画『ハドソン川の奇跡』で分かる2009年の航空機事故の真実

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はじめに

今回はドキュメンタリー映画である『ハドソン川の奇跡』について考察してみました。

この映画は2009年に実際に起こった航空機事故に関する作品です。

作品的には、2017年に日本のキネマ旬報や日本アカデミー賞などを受賞しています。

アメリカ本国ではなく、日本の各賞で評価されているところが何だか不思議な感じがしますね。

さて、この記事では映画『ハドソン川の奇跡』を自分なりにレビュー・解説しています。

独自に『ハドソン川の奇跡』を考察しているので、この記事と合わせて見てもらえば、より深く作品を味わうことができるでしょう。

単なるドキュメンタリー映画にしておらず、誰が見ても実際の事故を追体験できる作品になっています。ぜひご覧になってください。

レビュー・解説にあたって

当ブログの映画ページでは、映画の魅力をより伝えられるように、私の視点で映画の中身について語っています。(ネタバレ含みますのでご注意を!)

例えばこのシーンを見ると、より感情的な配慮があったり、技術的に訴えているなどの意味合いなど、細かい部分などにあたります。もし、お手元に映画があるなら一緒に見てもらえると、より分かりやすいと思います。

もちろん、私自身勉強しながらの分析なので、皆さんとの見方と変わることや間違っていることも多々あるかもしれません。

でも、そこは映画という芸術の感想や意見であり、議論が活発になることはむしろ喜ばしいことだと思っているので、皆さんも色々と思考を巡らせてもらえたらなと思います。

それでは始めて行きます!

映画の概要

スタッフ/キャスト

  • タイトル:ハドソン川の奇跡
  • 監督:クリント・イーストウッド
  • 脚本:トッド・コマーニキ
  • 出演:トム・ハンクス、アーロン・エッカート
  • 公開:2016年

あらすじ

実際に起こった航空機事故にて、その航空機の機長が乗客乗員を無事に救ったにも関わらず、事故を引き起こした疑惑をもたれてしまうドキュメンタリー映画。

実在するヒーローとしての物語

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ドキュンメンタリー映画でヒーローを作るのは難しいものです。

それは事実が伴うからに他なりません。

この『ハドソン川の奇跡』では実際に起こった事故であるのにも関わらず、ヒーローの物語になっています。

なぜでしょうか?

まず、この事故は事実でありその内容はほとんどの人が知っているからです。

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それを報道番組で作られるようなドキュメンタリー作品にするわけにはいきません。

観客としてお金を払って映画館に来てもらう必要があるからです。

映画館で見てもらうのに、一般的なドキュメンタリー作品を作っていては観客に納得してもらえないことが分かります。

また、映画製作者としてのプライドもあるでしょう。

そんな作品にはしたくもないと。

そして導き出した答えが、このヒーロー物語としての構成なのです。

サリーが機長としてどのように行動したのか、

NTSB(国家運輸安全委員会)がこの事件とサリーたちをどのように調査したのか、

世間の対応はどうだったのか、

サリーという機長はこの事故についてどのように感じていたのかなどです。

これらにより、映画としてクオリティを感じてもらえるようなヒーローらしい描き方にしています。

衝撃的なオープニング

『ハドソン川の奇跡』のオープニングでは、物事が起こったあとから始まっています。

このような始まり方は、結末があらかじめ分かっているような内容のものによく使われます。

しかし、オープニングのわずか1分半ほどで飛行機がビルに突っ込むようなシークエンスにしています。

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ビルに突っ込むことはサリーの悪夢で、実際に起こったことではありません。

しかし、なぜこのように飛行機がビルに突っ込む悪夢をわざわざ見せるのでしょうか?

ひとつは、いきなりの劇的なシークエンスから始めることで「意外性」を与えています。

観客にとっては知っている事故なのに始まってすぐに「えっ?」となるわけです。

もちろんこのような悪夢を見せない方法もあるでしょう。

しかし、この映画は主観的なヒーローの物語にしています。

そのため、どうしても葛藤するヒーローを見せるためにも最初のうちから観客を裏切る必要があるのです。(このあとサリーは悪夢で目が覚めます)

もうひとつは、この映画がドキュメンタリー映画であり、誰もが結末を知っている内容だからです。

結末を知っているところに、始まって1分半でまったく予想もしていなかった展開を見せることで「掴み」を与えているわけです。

珍しい「主観的」なドキュメンタリー

ドキュメンタリー映画は、客観的に透明性を維持したまま作られるのが基本です。

客観的ではなく主観的にしてしまうと、関わったものの誰かをひいきすることになってしまうからです。

ひいきしてしまえば、それはプロパガンダ(思想誘導)にあたります。

しかしこの映画では、ドキュメンタリー映画にも関わらずサリーの主観的な視点で描かれています。

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プロパガンダと捉えられる可能性があるのに、どうしてこのように客観的ではなく主観的に描くことができたのでしょう?

それは、この「事故」には主観的なキャラクターである『サリー』に対し、敵となる存在がいないからです。

敵がいないのであれば、ドキュメンタリー映画でも主観的な物語にできるという実例になっています。

唯一敵対するものと言えばNTSBですが、NTSBは実際に起こった事故とは関係がありません。

あくまでNTSBは調査委員会であり、映画を作る上での「仮の敵」を作ったに過ぎないからです。

もちろんNTSBは、サリーやジェフにとって疑いをかけられた敵であること間違いありませんが…。

これらにより、客観的ではなく主観的なドキュメンタリー映画が作れたわけです。

観客が何気なく探してしまうフラグ

1549便の飛行機が出発する前の空港のシーンです。

機長であるサリーは空港内の店でサンドイッチを買い、乗客たちは飛行機に乗ります。

パイロット二人は操縦席で離陸確認をおこなっているような場面です。

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面白いことに、ここからのシークエンスは全てが事故に関わるようなフラグ(きっかけ)に感じてしまいます。

事故は、エンジンに鳥が当たったバードストライクだとすでに伝えられているのにも関わらずです。

観客は結果的に不時着水すると分かっていても、必然的に「何かありそうだ」と見えてしまうのです。

そして、作り手は観客がそういう気持ちになることも分かっています。

誰もが知っている結末だからこそ、始めに「結果」を見せたあとにその状況を「再現」するわけです。

これを中盤に入ったあとすぐに、サリーの記憶をさかのぼるように見せます。

また、しばらく経って、サリーがランニングしたあとのバーでも同じように見せます。

そこでは乗客たちが助かるシークエンスです。

155名全員が助かっているのに、ここでも「何かありそうだ」と見えてしまいます。困ったものです。

ドキュメンタリー映画でありながら現実の時間を追いつつも、観客を飽きさせないように工夫がされています。

まとめ

『ハドソン川の奇跡』は、ただ記憶に留めておいてほしいというだけの映画ではありません。

そのようなドキュメンタリー作品は、おそらくアメリカで何回も作られているでしょう。

この映画は、サリーというベテランパイロットのおこないを伝える映画にしています。

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サリーはバードストライクという航空機事故に遭いながらも、乗客たちを救うという当たり前のことをしました。

それは「ヒーロー」たらしめるものでした。

しかし、残念ながら疑惑がかけられてしまいます。

航空機業界の理不尽な制度にも感じますが、多くの乗客の命を預かる飛行機のパイロットなのでそれも仕方がありません。

42年も飛んで乗客を守ってきたサリーも辛く悩み、困惑が隠せませんでした。

しかし、それでもサリーは自分がおこなった結果に対し、自信と責任を持っていました。

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サリーはその時に出来うる限りの可能な判断をして、正しいことをおこなったのです。

私たち観客にはそれを伝えてくれています。

おこないが正しいのであれば、その結果に対し堂々と自身と責任を持てばいいのだと。