はじめに
今回は『マトリックス』の解説です。
ネタバレしていますので、読む際はお気をつけくださいませ。
映画の概要
あらすじ
ネットの世界で『ネオ』と名乗る青年は、ある時期から不眠症に陥っており、そのせいで、日々過ごしている世界に対し何となく違和感を覚えていた。
そんな折、ネオのコンピューターにあるメッセージが表示され、その通りに行動していくと、ネオを待っていたという人物に会うことになる。
そして、その人物から世界について、驚愕の真実を教えられることになる。
キャスト・スタッフ・受賞歴
出演者 | キアヌ・リーブス、ローレンス・フィッシュバーン、キャリー=アン・モス、ヒューゴ・ウィーヴィング |
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監督 | ラナ(ラリー)・ウォシャウスキー、リリー(アンディ)・ウォシャウスキー |
脚本 | ラナ(ラリー)・ウォシャウスキー、リリー(アンディ)・ウォシャウスキー |
撮影監督 | ビル・ポープ |
編集 | ザック・ステンバーグ |
受賞歴 | アカデミー賞(編集賞、音響賞、視覚効果賞、音響編集賞) |
『マトリックス』が公開された当時とその影響
20世紀末、『マトリックス』という映画作品は生まれた。
その頃は、インターネットという、時代を超越する怪物が一般に普及し始めた時代であったが、このマトリックスにはインターネットの先見性と独創的な映像体験が加えられており、多くの人が陶酔することになった。
私も例に溺れず、この作品のトレイラーを初めて見たときから、ただならぬ気配を感じていたのを今でも覚えている。
確かに私がオタク気質であるからなのは間違いないが、それを抜きに考えたとしても、これだけ話題に上る映画というのは数えるほどしかなかったかのように思える。
しかもそれが生粋のSF作品であったから尚更であった。
公開後には、マトリックスで扱われた映像技法であるバレットタイムが、映画からcm、果てはわざわざアニメまでに使われていたことを覚えている人も多いだろう。
『マトリックス』から、約20年経った現実世界はどう変わったか?
2010年代末期の現代は、IOTという言葉が浸透し始め、社会にはAIの活用を定着させようという情勢も勢いを増し、企業の工場には人を必要としない人型に近いロボットが台頭してきている。
見方を一方的に変えてしまえば、正にマトリックスの世界に向けて突き進んでいると言っても過言ではないだろう。
このマトリックスという物語の主人公である、ネオのメンターとも言えるモーフィアスは、彼にこう語っている。
「マトリックスの時代は2199年ごろであり、正確には分からない」と。
つまりは、マトリックスの映画の様な世界が、2199年頃に実際に起こらないと結論づける事はまだ出来ないわけだ。
なぜなら問題なのは、そのAIを作り、取り扱うのが人間だからである。
世界には、お互いを強固に主張したがる国々だけではなく、個人でもインターネットの世界を牛耳ろうとするほど悪意ある者が絶えずいて、常に私たちはその危機に晒されている。
つまり現代人ですら、身近にAIがあれば人々が正しく扱うという保証はどこにもないわけだ。
もちろん、まだまだ人間がAIの本質にまで迫っているわけではないので、そう、おいそれとマトリックスのように『人間対AI』という構図になることはないだろう。
しかし、AIが単なる機械学習から深層学習(ディープラーニング)、そして更なる次世代の学習を経て、人間よりも高度な知能を持てる状況になった場合、何が起きるかは誰にも見当が付かないはずだ。
まぁその答えは、遥か先の未来の子孫たちに委ねるしかない。
ただ、もう21世紀になってしばらく経つというのに、マトリックスの世界を鼻で笑う事がまだまだ出来ないというのも事実である。
一つ断わっておきたいのは、私はAIの技術について詳しいわけではなく、また懐疑的な見方をしているわけではない。
私たちの根底にある、生活を豊かにしたいという渇望に置いて、AIがその実現を後押ししてくれるならむしろ歓迎したいと思っている方だ。
この記事を読んだ有能なエンジニアの方々が、マトリックスのようなAIの暴走なんて馬鹿げたことはありえないと思っていただけるなら、ぜひ声を大きくして語っていってほしい。
そうしてもらうだけで明るい未来になっていってくれるだろう。
前置きが長くなってしまったが、マトリックスはどうしても私自身が思入れがある作品なのでご了承いただきたい。
『マトリックス』とは何なのか?
さて、そもそもマトリックスとは一体何なのだろう?
マトリックスとは映画の大きな『軸』であり、『テーマ』でもある。
そして、それは仮想現実(Virtual Reality)のことだ。
実際にVR自体は、マトリックスが1999年に公開されてからだいぶ経った、2010年代後半にようやく一般にも普及し始めた。
つまり現代では、技術的にはマトリックスの世界を真似てその世界に入るだけの事はもはや可能であり、ネオのように『THE ONE』としてスーパーマンの如く仮想的に超人的な活躍をすることは可能だ。
では、なぜ映画マトリックスの世界に仮想現実が必要になったかという理由については、映画の中で説明がある通り、機械に繋がれた昏睡状態の人間達に現実感を擬似的に見させているためだ。
そして、人々は仮想現実のおかげで人間らしい人生を脳内のみで送ることができ、機械にとっては行動を制限させた人間の体内から電気を得ているわけだ。
こうなった背景には、人間と機械の戦争中に機械を封じ込めようと人間が太陽を遮ってしまったことで、機械に必要な太陽の光エネルギーを得られなくなってしまったことに由来する。
すると機械側は、存続のために、人間が体内に持つ微弱な電気を求めたのだ。
何とも皮肉と言える話だ。
しかし、ここがマトリックスの面白いところであるのは間違いない。
機械にとっては、戦争に勝利したにも関わらず、面倒臭いことこの上ない方法で自らを存続させようとしているからだ。
そしてさらにマトリックスという仮想現実は、人間にとっても皮肉な存在になっている。
機械が幾度も用意した人間側にとって都合がいい楽園的なマトリックス(仮想現実)は、人間側がそれに耐えられないというのだ。
どういうことか?
それは、人間に必要なその答えが『負の感情』の存在だったからである。
エージェント・スミスはこう語っている。
「人間には苦痛のある生活がないと生きていけない種族」だと。
そんなに人間は自虐的なのか?とも疑問に思えるが、人間の現実感というのは案外そういうものなのかもしれない。
また、映画から一歩引いて、観客にとって初めてマトリックスという虚構の世界に触れることで、本来の今生きている現実の世界を考えることになる。
その結果、観客がいる現実の世界自体を、一瞬マトリックスの世界のように頭によぎらせるわけだ。
「あれ?この現実世界もマトリックスなのかな?」などと。
つまり、マトリックスという仮想現実と実際の現実世界を行き来する設定としたことで、観客はネオと同じように純粋に頭の中で現実と非現実の世界を行き来し、映画に没入できるようになっている。
マトリックスとは、ネオが感じる世界と、観客が感じる感情とをリンクさせた、映画ならではの素晴らしいアイデアだと言える。
『目覚める』ことで『覚醒』していくネオ
映画『マトリックス』を注意深く見ていると気づくが、主人公であるネオには目覚めるシーンが多い。
それは以下のようなシーンだ。
- ネオがスミスに捕まった後、夢から覚める
- ネオが収容されていたカプセルで目覚める
- 回収された後、ネブカドネザルの中で目覚める
- 初めてマトリックスの説明を受けた後に倒れ、その後目覚める
- 目覚めたわけではないが、訓練の後に寝ている つまりこのあと目覚める
なぜ、これほど目覚めのシーンを多く入れたのか?
この理由はもう、成長に欠かせないのが睡眠だからであろう。
睡眠は、心身の休息、身体の細胞レベルでの修復、また記憶の再構成など高次脳機能にも深く関わっているとされる。
下垂体前葉は、睡眠中に2時間から3時間の間隔で成長ホルモンを分泌する。
放出間隔は睡眠によって変化しないが、放出量は多くなる。
したがって、子供の成長や創傷治癒、肌の新陳代謝は睡眠時に特に促進される。
このように、睡眠は成長を促すホルモンを分泌する。
つまり、ネオが覚醒し、新しい世界で新しいことを学んでいく急激的な成長のためには、多くの睡眠が必要なのだろう。
そして、このネオが寝て起きるというシーンを繰り返すことは、実は私たち観客の脳内を一旦リセットさせる方法でもある。
マトリックスを初めて見ると、新しいことばかりで観客にとっては混乱が大きい。
その混乱を少なくさせるために、ネオを眠りに付かせるようにすることで、観客にとっても一時的に脳の休憩タイミングを入れているわけだ。
睡眠はネオの成長促進に加え、観客の考えや想像を休ませる手段として効果的に配置されていることが分かる。
『ネオ』にさせること、それは『決断』
マトリックスには、ネオが『決断』するシーン多く挿入している。
観客にとっては、ネオはあるがままの流れに身を任せている雰囲気を感じるが、ほとんどの成り行きをネオが自分で決断を下していることが分かる。
以下がそのシーンだ。
- 白うさぎのタトゥーが描かれた女性を追いかける
- 会社でモーフィアスからの電話を取る
- 会社のビルの足場を歩こうとする
- モーフィアスに会いに行く
- モーフィアスから出された赤の薬を飲む
- ジャンププログラムでビル間を飛ぼうとする
- 預言者に会おうとするためにドアを開ける(正確には、ネオがドアを開けることを知っている預言者の弟子に『開けられた』が正しいが)
- モーフィアスを助ける決心をする
- トリニティーが乗ったヘリが落ちる際に、トリニティーを救おうとする
- 地下鉄でスミスと戦おうとする
これらのシーンは、ネオに明確に決断させるようにしており、その意思を顕著にさせている。
なぜこうも決断を迫るシーンを多くしたのか?
それは、この物語が決断を一つのテーマにしているからだろう。(私は『選択』よりも『決断』だと思っている)
人は決断をすることで、そのあとどう動くかを決められる。
つまり、決断という行為自体は心の表れであり、台詞無しにネオの心を分かりやすく観客に伝えることができる。
また、主人公が決断を繰り返すことで、観客は見ている際にモヤモヤもなくスッキリできる。
戦いだけでなく、決断できるネオの姿も実は魅力の一つになっていることが分かる。
また、もう一つの理由はストーリーを進ませるためだ。
物語の展開には、主人公を巻きませることで次の展開に向かわせる手法もある。
しかし、その場合余計なシーンを入れてしまうことと、主人公の曖昧さを見せてしまうことになりやすいので、マトリックスのようなヒーローものにはあまり向いていない。
ところがネオ自ら決断させることで、うやむやに主人公を巻きませることなどを必要とせずに、次の展開に強制的に向かわせることができるのだ。
ネオの決断は、主人公の性格と物語の進行を上手く融合させている。
ただ、決断の反対に一つ欠点も実はある。
それは、ネオには思い悩む葛藤が少ないのだ。
『預言者(オラクル)』の存在とは何なのだろう?
マトリックスから解放された人間に対し預言を行う預言者、つまりオラクルの存在とは何だろうか?
人間でもなく、エージェントでもない。
また、敵対する機械側の存在でもない。
残念ながら、マトリックス映画単体だけでは明確な答えはなく、これは続編の『マトリックス リローデッド』で語られることになる。
しかし、問題はその部分ではなく、この映画に於いて預言者という存在がどうして必要なのかということだ。
預言者は、どうやらマトリックスから解放されたほとんどの人間に対して預言を伝えていることが何となく分かる。
その理由は、モーフィアスやトリニティーも預言者に会っているということが告げられるからだ。
そして、モーフィアスは「預言者は最初から共に戦ってきた」とも言う。
つまり、マトリックスが生まれた当初からいて、覚醒した人間に対し常に預言を行ってきたわけだ。
プログラムの癖にとても面倒くさい存在であることがこれで分かる。
ただ、この預言者という存在がいることにより、面白い事実が浮かび上がってくることに気づかされるのは確かだ。
それは、ネオと預言者の会話から想像できる。
預言者がネオに語っている際に、預言者は一つヒントを出した。
それは『救世主であることは恋をするのと同じ。それは自分しか分からず、心と体が実感するもの』という台詞だ。
この時点では、ネオはまだ心と体が実感できていない状態だ。
つまり、この時に「お前は救世主だ」と告げられても、よく分からない現実の世界に引き込まれ、よく分からないまま世界を感じている状況の中なので、そんなことを言われて信じることなど不可能に近いわけだ。
そこで、預言者は敢えて上記のような遠回しの表現をしたと考えられる。
そして、預言者がネオの顔に触れ、目を見、手に触れ、ネオが救世主かどうかをわざわざ見極めようとし、その結果、ネオには「残念ながらあなたはTHE ONEではない」と告げる。
しかし、これはただの演技であると考えられる。
AIがこの時点でどのくらい進歩しているかは不明だが、所詮、予言というものは機械学習とあらゆる計算から導き出した確率論であるはずだ。
つまり、本来は、預言者とネオとの会話の流れから察するに、おそらくこれまでの前任者より確率が高かったのだろう。
しかし、その事実(預言)をネオに告げてまうと、まだ心も体も未熟な状態のネオが持っている、可能性の芽を潰すことになりかねない。
そうなっては預言者に取っても元も子もないので、ネオが自らTHE ONEであることを信じられるようにと、預言者は「モーフィアスの死か自分の死を選択しなければならない」という言葉をわざわざ伝える。
この言葉も預言者のトリックであり、ネオがどちらを選ぶかは預言者には分かりきっていることだ。
ただ、選択はネオに残しているので、さらに、この預言をより強固にするために、この時点では語られていないが、以前トリニティーには、「あなたが愛する者こそがTHE ONEである」とも伝えている。
つまり、預言者は、モーフィアスにはザイオンを救ってくれる救世主という存在を信じ込ませ、トリニティーには愛する人物を作らせ、当のネオには救世主にさせるためのきっかけを作っていることが分かってくる。
そのきっかけこそが、こじつけっぽく聞こえてしまうが預言者が調理していた、あの『クッキー』だ。
クッキー、つまり『cookie』とは、インターネットの世界でユーザーであるクライアントとサーバー間で行う情報のやり取りのことである。
サーバーがcookie(サーバーとの情報)をクライアントに与えることで、クライアントはそのサーバーとの繋がり(情報)を保つことができるというようなものだ。
つまり、預言者がネオにcookieを与えることで、ネオには預言者からの情報、ここで言えば『信じさせる力』のようなものを与えていると解釈できるわけだ。
その証拠に預言者は「クッキーを食べたらスッキリするわ」と語っている。
これは、cookieの力でネオの迷いを晴らし、信じさせようしていることにつながる。
しかも、預言者は会う人間全てにcookieをあげているはずなので、信じる力をより強固にさせることで、預言として確率論を伝えているわけだ。
このように預言者というのは全くもって回りくどいことを演じ続けているが、それがこの時代のAIの限界なのかもしれない。
そうすると分かってくることは、預言者は「運命なんて決して信じてはダメ」と言っているが、まさにそれはその通りであり、人間たちには運命を悟られたくはなく、しかし実際には運命は完全に操作されているという事実が実は浮かび上がってくるのだ。
『バレットタイム』という名前に隠れた本当のシーン
この映画の1、2を表すハイライトシーンであるバレットタイム。
このバレットタイムの仕組み自体は、何のことはないコマアニメと変わらないのだが、その映像表現自体が独創的だったのは間違いない。
マトリックス放映後、様々な映像メディアで模倣されたのがその証だ(詳しくはWikipediaをどうぞ)
さて、映像表現に関してはもう散々語られていると思うので、別の方向からこのバレットタイムについて考えていきたい。
そもそもの話だが、バレットタイムで映されているネオを見てみると、弾を避けようとした結果、ただ倒れているだけであることに気づく。
それを、彼の360度周囲にあるカメラが、1フレームずつ倒れる様子を写真に写しているに過ぎない。
つまり、ネオ自体は何にもカッコ良くないのだ。
しかも、ネオがエージェントの弾を避ける前に、ネオはトリニティーに「Help!」としか叫んでいない。
つまり台詞もカッコ良くない。
極め付けに、トリニティーには「あんなに早く動ける人初めて見たわ」と台詞で語らせている。
ただ倒れているだけなのに。
正直言って一歩間違えばギャグでしかない。
しかし、そこをこれだけカッコ良く映せる方法を見つけたということが、賞賛に値するシーンであると言えよう。
もちろんその前後のシーンで観客を熱くさせているいるからという理由もあるが、冷静に考えてみると、よくもまぁ倒れているだけのシーンを、マトリックス=バレットタイムという代名詞にさせたなとも言える。
でも私は大好きです!
『THE ONE(NEO)』というヒーローの誕生
物語のクライマックス、ネオはスミスに誰もが死んだと思えるほどの銃弾を撃ち込まれる。
しかし、心拍が止まったネオに対しトリニティーは愛していると告げ、口づけをする。
ネオは起き上がり、スミスたちが放つ銃からの弾を避けるまでもなく、空中で静止させてしまう。
モーフィアスはネオをTHE ONEと呼び、ネオの目にはマトリックスの世界がただのプログラムとして映ることになる。
ネオに向かってくるスミスを、子供の遊戯に付き合うかのように軽く受け流し、そして簡単に蹴り飛ばす。
最後には、スミスめがけて飛び、スミスの体に吸い込まれるように入っていき、そしてスミスを体の内側から破壊してしまう。
まさに救世主であるヒーローの誕生である。
観客にとっては大いにスカッとする名シーンだ。
そして、現実世界にあるネブカドネザルのEMPによるマシンへの攻撃が終わり、ネオとトリニティーがお互いの愛を確かめ合う。
映画の最後として、ネオが開放感のあるメッセージをマトリックスに繋がる人間と観客に向けると、ネオはサングラスをかけ空を飛んでいくというエンディング。
観客は、自分自身がヒーローになったかのような錯覚を覚えながらエンドロールを見て物思いにふける。
誰もが納得できる映画であると言われる所以がここにあるのは間違いない。
素晴らしい名シークエンスだ。
まとめ
マトリックスは、初めて見たときは何のこっちゃ?と思えるような内容だが、何度も見てみることで色々なことが分かってくる。
人を選ぶ作品であるのは間違いないが、繰り返し見てみると、その作り方は映画史に語り継がれる作品だと段々と気づいてくる。
SFが好きな人、ヒーローものが好きな人には間違いなくオススメできる映画だ。
惜しむらくは、次作の『リローデッド』と『レボリューションズ』の2つが、さらに難解になってしまったこと、そして誰もが羨むヒーロー像を無くしてしまったことが残念でならない。
私は好きですけどね。