映画『インターステラー』がもっと楽しめるポイントはココ!!

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映画について

食料危機に陥った地球の人類を救うために、地球以外の移住可能な星を見つけに行くSFヒューマンドラマ

  • 監督:クリストファー・ノーラン
  • 出演:マシュー・マコノヒー、アン・ハサウェイ、ジェシカ・チャステイン、マイケル・ケイン

あらすじ

食糧危機に陥った地球。クーパーは未来を案じながらもマーフとトムという二人の子供を養う父親であり、元宇宙船パイロットだった。気候変動が激しく、砂嵐が止まない肥沃とは言い難い台地で暮らしている中、クーパーは娘のマーフと共に、マーフの部屋で度々起こるポルターガイスト的な何かのシグナルを見つける。

それは政府に隠されたNASAの座標だった。そこに導かれたクーパーに対し、地球人を新たな星へ移住させるために、研究者たちと遠い宇宙へ、パイロットとして旅立つことを頼まれる。そしてクーパーは子ども達であるマーフとトムを残し、研究者たち仲間と共にワームホールを抜け別銀河に向かう。

道中では仲間の死や相対性理論による時間のズレ、更には惑星に残されていた研究者の裏切りにより母船が破壊されるなど、紆余曲折を経た壮大な惑星間の旅に誘われていく。

約束を守りたいクーパー、約束を信じたいマーフ、地球の未来。そして「彼ら」とは? 果てしない時空の歪みの中で五次元世界が扉を開く。

はじめに

当ブログの映画ページでは、映画の魅力をより伝えられるように、私の視点で「レビュー」や「感想」を書いています。(ネタバレ含みますのでご注意を!)

例えばこのシーンを見ると、より感情的配慮があったり、技術的に訴えているなどの意味合いなど、細かい部分などにあたります。もし、お手元に映画があるなら一緒に見てもらえると、より分かりやすいと思います。

もちろん、私自身勉強しながらの分析なので、皆さんとの見方と変わることや間違っていることも多々あるかもしれません。

でも、そこは映画という芸術の感想や意見であり、議論が活発になることはむしろ喜ばしいことだと思っているので、皆さんも色々と思考を巡らせてもらえたらなと思います。

それでは始めて行きます!

親子の関係性

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この映画ではクーパーと娘のマーフは大きく取り上げられています。従って、この二人の関係は見たまま感じ取ることができます。

しかし、クーパーと息子のトムはあまり深く掘り下げられてはいません。クーパー自身も比較的トムよりマーフの方を贔屓にしている描写があります。

車がパンクした際、車を挟んで画面の左側でトムにはパンクを直させ(孤立させ)、右側でクーパーはマーフを慰めようとしたり、無人機の操縦をさせるのはマーフだけだったりします。

トム自身はもう青年であり親離れをする年頃であるので、クーパーも敢えて距離を置いていたと考えられますが、しかし、母親がいない暮らしの中ではトムの心に見えない傷がつき始めていたのかもしれません。

その理由として、マーフとは違い、トムは宇宙にいるクーパーに何度もメッセージを送っていました。返信が無いにも関わらずです。これはやはり愛する父親への寂しさがあったように思われます。そして、寂しさを癒せず父親を見限ると、育ての親は祖父だとマーフに言い、トムは逆上していきます。

父親を拐った(と解釈してしまう)NASAに自分の病気の子供を預けたら、今度は子供が帰ってこないと考えてしまうくらいにです。子供への愛情はクーパーから十分受け継いでいましたが、その方向性には誤りがあったのです。

NASAを憎み、父親を憎み、妹までも憎み…。トムをこれだけ不憫な目にあわせてしまったことは大変残念だと感じてしまいます。

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ラザロ計画とは?

ブランド教授の嘘

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地球でブランド教授がプランAとプランBをクーパーに説明するシーンがあります。ここではブランド教授が中央に立っていて、上部に明るいライトが2つあります。

教授が画面を分割していると考えると、このライト2つをメタファーだと捉えることができます。

そこでプランA側を左側のライト、プランB側を右側のライトと想定した場合、B側のみに既に旅立った調査員の写真があり、A側には無いことが分かります。

つまり、この時点でB側にしか希望が無いことを示唆させていると考えられるわけです。

マーフが大人になって初めてクーパーにメッセージを送ったあと、マーフはブランド教授の方程式に疑いを持ってしまいます。時間という過程を変更せずに方程式を解こうとしていたからです。ただし、この場合理由はどうでもいいです。

実際に画面ではブランド教授とマーフの間に机があり、物理的に距離を置いています。加えてブランド教授は横を向き、マーフの顔を見ないばかりか、その場を立ち去ろうとします。この時のマーフはブランド教授を見下ろすような視点であり、鑑賞者にも疑惑を感じさせる距離を作っています。

カットが変わり、疑いを持つような表情を持たせたマーフを中央に配置し、バックにはブランド教授が黒板に書いた方程式を見せ、更にブランド教授自身は、バックライトが当てられている奥へ向かうことで、よりその疑惑の強調さを示しています。

つまり、この時点でブランド教授は何かが怪しいと誰もが思い始めるようにしています。そしてその最中でのブランド教授の死です。鑑賞者としては何が嘘だったのかを知る前での死なので、モヤモヤがたまったまま放置させられてしまいます。

マン博士の裏切り

時同じくして、今度はコールドスリープから蘇る「マン博士」が現れます。

マン博士も場所が変わっただけで、星について説明しているところやエンジニアとしてクーパーを誘っている点などがブランド教授の登場と酷似しています。そしてやはり怪しさを醸し出しながら結局クーパーを裏切ります。つまりこれがラザロの一つの側面なわけです。ブランド教授が繰り返し話していた「詩」を語ったのもマン博士だけでした。

ブランド教授は嘘をついたまま亡くなり、マン博士は仲間を裏切ることで死が与えられてしまいます。

聖書のラザロとは違い、二人の意思が生き残ることはありませんでした。

クーパーとアメリアの関係性

クーパーとアメリアの出会い

クーパーとアメリアが出会ったシーンでは、クーパーは座らされ、机を挟んでTARSからの尋問を受けていました。

机という障害物があることで、会話だけでなく、双方に良好な関係がないことをあからさまにしているシーンです。また、クーパーにはハイアングル(見下ろし)から映し、TARSとアメリアはローアングル(見上げる)から映すことで、TARSとアメリアがこの場では如何に権力を持っているかを表しています。

マーフの保護者面談でクーパーが学校に呼ばれた際は、ここまでのアングル変化は無く、クーパーと先生たちは同列を維持できる強さを持っていました(会話でもそう)。

しかし、ここにきて絶対的な権力をクーパーに見せることで、クーパーにも弱い部分があることと、鑑賞者にもクーパー同様の不安を与えるようにしていることが分かります。

アメリアの成長

ミラーの星で、大津波が襲った後のクーパーとブランドが口喧嘩をするシーンを見てみましょう。ここではアメリアとクーパーの関係性が一時的に変わることになります。

NASAの象徴だったアメリアが床に伏し(見上げる)、クーパーがアメリアに怒りを見せています。(見下ろす)。人類への希望だけを持っていたアメリアに、ドイルに死をもたらしてしまったという厳しい現実がアメリアに突きつけられたからです。

その後マンとのトラブルを経て、何とかエンデュランスに戻ることができた二人は、エドマンズの星に向かうことになります。

アメリアは感謝の念として自分のヘルメットとクーパーのヘルメットを重ねました。わだかまりが消え、二人がもっとも親密になったことを感じさせるシーンです。

しかし、アメリアにはエドマンズという恋人がいて、クーパーには娘がいるため、それ以上の関係になりそうな描写はありません。

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アメリアに託す

ところが、アメリアがワームホールで接近遭遇したのは(するのは)クーパーです。この時ドイルとロミリーもいますが二人には触れていません。

何故か?同じ重力場の影響(ワームホール)がある場所で過ごしたのは3人ですが、ドイルとロミリーは生き残れなかった(生き残れない)ためです。この中でクーパーを除き、生き残ったのはアメリアだけでした。

シーン的にもワームホールに何かがいたと思わせることが必要だったとは思いますが、ここでアメリアに特別な意味合いを持たせたい理由があったのです。

クーパーはなぜワームホールでアメリアとの接近遭遇をしたか、クーパー自らの意志か、五次元の人類の影響かは読み取れないところではありますが、これはアメリアがエドマンズの星に旅立つからに他なりません。

エドマンズの星で生まれた未来の人類たちが、四次元を超える存在になるために、五次元空間を旅したクーパーだけが持った、目に見えない力や意思、経験をアメリアに渡したのです。(ちょっとこじつけが強いですがこう考えると面白いです)

つまり、道徳的な配慮も加えて、クーパーはアメリアとの恋愛関係を超えた関係を、接近遭遇という形でおこなったのです。

(エンディングのシーンでクーパーがレインジャーに乗ってますが、実際にアメリアに会いに行けたかどうかは鑑賞者に委ねられています)

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まとめ

この映画が伝えたかったメッセージを私はまだまだ掘り起こせていません。何故だか真理には届いていない気がするのです。おそらくこれからも何度も見る必要があるでしょう。そして一つずつ考えを巡らせていきたいと思っています。

惑星間と親子の関係を比喩にしたこのインターステラーという作品は、21世紀初頭の時代を生きる人々の繋がりについて、より深く考えなければならないと伝えているように感じます。

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