映画『コールドマウンテン』が魅せる切ない純愛物語

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はじめに

今回は切ない純愛物語である『コールドマウンテン』について考察してみました。

南北戦争のさなか、戦地で傷つき脱走してまで恋人のもとへ帰る人物を描いた作品です。

作品的には、「レネー・ゼルウィガー」アカデミー賞の助演女優賞を受賞しています。

確かにレネー演じる「ルビー」はとても個性的なので、受賞した理由も分かりますね。

さて、この記事では映画『コールドマウンテン』を自分なりにレビュー・解説しています。

独自に『コールドマウンテン』を考察しているので、この記事と合わせて見てもらえば、より深く作品を味わうことができるでしょう。

『コールドマウンテン』切ない純愛物語です。そういった作品がお好きな方はぜひご覧ください。

レビュー・解説にあたって

当ブログの映画ページでは、映画の魅力をより伝えられるように、私の視点で映画の中身について語っています。(ネタバレ含みますのでご注意を!)

例えばこのシーンを見ると、より感情的な配慮があったり、技術的に訴えているなどの意味合いなど、細かい部分などにあたります。もし、お手元に映画があるなら一緒に見てもらえると、より分かりやすいと思います。

もちろん、私自身勉強しながらの分析なので、皆さんとの見方と変わることや間違っていることも多々あるかもしれません。

でも、そこは映画という芸術の感想や意見であり、議論が活発になることはむしろ喜ばしいことだと思っているので、皆さんも色々と思考を巡らせてもらえたらなと思います。

それでは始めて行きます!

映画の概要

スタッフ/キャスト

  • タイトル:コールドマウンテン
  • 監督・脚本:アンソニー・ミンゲラ
  • 出演:ジュード・ロウ、ニコール・キッドマン、レネー・ゼルウィガー
  • 公開:2003年

あらすじ

南北戦争のさなか、負傷した戦地の脱走兵が、故郷の恋人に再び出会うまでの旅路を描いた物語

エイダの想いとインマンの罪

インマンもエイダもお互いとても一途です。

なぜそこまでお互い相手を思い続けられるのか?と考えさせてもくれます。

ただ、映画を見ると分かりますがインマンの性格がいまいち読み取れないところもあります。

あまりハッキリした性格ではないからです。

反対にエイダの方がどんな人物かが分かりやすいです。

エイダが置かれた状況は常に伝えられますし、エイダの気持ちも分かります。

また、エイダは生きるための方法を何も知らないので、そこから教えられ学習し成長していく姿もあるからです。

しかし、インマンはトラブルに遭うばかりです。

脱走兵なので仕方がありませんが、トラブルに遭ってももう少しヒーロー然ともできたはずです。

なぜそうしなかったのでしょうか?

エイダが初めてインマンに出会ったとき、エイダはその魅力に魅せられてしまっていました。

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なぜなら、インマンがすでに男性として成長していた男だったからです。

これが成長していない男であれば、インマンが魅力を持っていない状態として描かれてしまいます。

その場合、エイダはインマンに心を寄せようとは思いません。

そうなるとインマンが、エイダに対し心を寄せていく必要が出てきてしまいます。

これでは物語が全く別物になってしまいます。

あくまでエイダとインマン両方が、一途に恋したことを思わせなければならないのです。

また、インマンに成長要素を持たせてヒーローにしてしまうと、インマンが今まで行ってきた行為が正当化されてしまいます。

インマンは戦争とは言え、数多くの人を殺してきています。

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人を殺めたら罪が伴うのは当然のことです。

しかも脱走もしている立場です。

また南北戦争という中での間柄もあったのでしょう。

南軍が負けたのにインマンはのほほんと帰って暮らすのはありえないし、北軍が勝利したのにインマンの罪が問われないこともあってはいけないのです。

さらにエイダと出会って間もなかったインマンがヒーローとして帰ってきたら、エイダが恋した相手ではなくなってしまいます。

ヒーローに恋する女性は、ヒーローに助けられて初めて恋をするからです。

これらはどうしても避ける必要があるため、インマンには成長要素がない辛い道を歩ませなければならなかったのです。

物言わぬインマンのキャラクター性

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初めて見ると、最初はインマンのキャラクター性が掴みにくいです。

インマンがあまりにも何も言わないからです。

まず話をすることがあまり得意ではないのでしょう。

早くに両親を亡くしていることから、性格もそれほど明るく活発でないことが分かります。

それに、魅力ある男に見せるためにもあまりにベラベラと話す男にしてしまうとその雰囲気を壊してしまうからです。

また、これから分かる一途な性格性を強調するためにもしています。

インマンは、旅の最中に別の女性から誘惑を受けることになります。

それも大胆は方法でです。

しかし、その誘惑に落ちることなくインマンはエイダのもとへと向かうようにします。

故郷でインマンはエイダとろくに話してもいないのにです。

なぜこれほどまでに一途でいられるのでしょうか?

誰が見ても明らかですが、それはインマンにとってエイダが、胸を焦がすほど愛おしい存在だからなのでしょう。

ちょっと羨ましくもなりますね。

ふたりに残ったものは?

コールドマウンテンは、主人公のインマンとエイダを交互に映したカットバック映画です。

交互に映すことで、お互いに起こったこととお互いの気持ちを的確に観客に伝えようとしています。

それにより、インマンが戦地から脱走したあとの話だけではなく、エイダの暮らしぶりも見せることでお互いがどのような気持ちと苦労があったのかが伝えられます。

そして、このふたりには様々なキャラクターが絡んできます。

しかし、特徴的なのは最終的にインマンには誰も残らず、エイダにはルビーを始め友人たちが残ったということです。

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これは何を意味しているのでしょう?

それはインマンには犯してきた罪があるからです。

人を殺めた罪があるかぎり、インマンには誰も残ってはくれません。

反対にエイダには罪もなく、ルビーと良好な関係を築いていきました。

インマンが一人になったことは、インマンの生き方を象徴した結果なのです。

ふたりを繋ぐ大自然

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この映画でとにかく見せられるのが大自然の光景です。

雄大な大自然が映画全体を覆っています。

それはコールドマウンテンだけでなく、インマンが帰る道も常に大自然の中です。

とても綺麗で美しい風景がずっと続き、心が洗われるほどです。その場所に行ってみたいとも思えます。

CGを一切使っていないこともあり、現実的な自然が心を癒してくれます。

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さらに見ていくと、全体的なシーンの中で「自然」の役割について一つ分かることがあります。

それはインマンが撃たれたあとに、療養されている仮の病院でエイダの手紙を読まれたところからです。

エイダの手紙をインマンが聞いて、インマンは脱走することを決意します。

このインマンが脱走するシーンからエンディングに至るまでの間、季節の移り変わりを見せているのです。

会えない年月はすでに何年も経ってはいますが、映画の終わりまで上手く順に四季を通して表しています。

その四季があまりに自然に移ろっていくので、観客は気づきにくいくらいです。

そして、自然を通した世界の中でインマンとエイダが繋がっている唯一のものが愛です。

自然の中で、脱走兵となったインマンがどのように故郷に帰るのか。

自然の中で、父が亡くなり一人になったエイダはどのように生きながらえるのか。

このふたりに数々の試練が待ち受ける中で、インマンとエイダは心を寄せるお互いの愛を信じて大自然の中を生きようとしていくのです。

象徴的な動物「鳥」

コールド・マウンテンでは動物も多く登場します。

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それもオープニングからウサギが走り、エンディングでは羊が走るほど要所要所に動物を登場させています。

これは家畜としてはもちろんのこと、動物もまた自然の一部であることを表しています。

ただ、その中でも象徴的な動物がいます。

それは鳥です。

この映画では鳥が象徴的に使われているのです。

最初は教会が出来たばかりのシーンです。

真っ白に塗られた教会の中、エイダが黒い服を着て立っています。(ここはビジュアルデザインとしても注目すべきシーンです)

そして、対照的に白いハトが舞っています。

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その後、サリーがエイダを心配してエイダの家に訪れたシーンです。雄鶏が、サリーから隠れていたエイダを襲います。

そして、サリーの家の井戸で鏡を使ったおまじないをしているシーンです。エイダは鏡に写ったインマンの周りをカラスが飛ぶのを見ます。

ルビーがエイダのもとにやってきたシーンです。農場の柵に泊まっているのがカラスです。

さらに、エイダがインマンと会う直前に「食料を探すわ」と小屋を出ていったシーンです。エイダが道端にたむろしている鶏を銃で撃ちます。

最後に、インマンが義勇軍の一人に撃たれたあとにもカラスが飛びます。

なぜ、これだけの鳥を映したのでしょう?

これは、鳥の繁殖行為を比喩として用いているからになります。

実は、鳥は「一夫多妻制」ではなく「一夫一婦制」だからです。

つまり、インマンとエイダのふたりの純愛をより象徴的にしたかったと考えられます。

どんな状況に陥っていても、心を寄せるお互いの想いを表したかったのです。

また、直接の関係はありませんが、この映画に出てくる本があります。

エイダが、これから戦争におもむくインマンに贈った本です。

インマンにとっては、エイダの元へ帰る勇気を常に与えてくれるかけがえのない本になるものです。

この時、エイダが映画内でも語っていますが、この本の作者はウィリアム・バートラムという博物学者です。

この映画の中の本は、バートラムがアメリカ合衆国南部を歩いた旅行記という設定ですが、バートラムはこの当時に鳥類の一覧表を作り上げています。

つまり、バートラムが「鳥」について研究していたことも「ひっかけ」ているわけです。

(ちなみにコールド・マウンテンの原作では映画よりも多彩な動植物が登場してくるそうです)

演出と編集の極意

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エイダがピアノを手に入れたシーンです。

サリーからインマンが畑を耕していることを教えられ、エイダがまだ馬車で運ばれているピアノで演奏します。

エイダは曲を弾きながら通り過ぎてしまい、インマンとは特に語りもしません。

そして、場所が変わりエイダがピアノを弾いているディティールショットになります。

なんとここで、インマンがいたシーンのピアノの音とディティールショットのピアノの音が繋がっているのです。

これはショット間の違和感を無くす編集として効果的なテクニックになっています。

音というのはセリフでも音楽でも、シーンの切り替え時に違和感を無くすことができるからです。

「A」というショットの音を「B」のショットの最初まで流したり、逆に「A」のショットの終わりに「B」のショットの音を流し始めるなどです。

この場合、画面が大きく変わってもきれいに繋がっているように見えます。

しかし、実際にピアノを弾いているシーンから、別の場所に移っても同じピアノの曲を引いているシーンというのは面白いです。

脚本と演出時点でアイデアを出し、編集でもきちんと繋げられるように構成されていることが分かります。

まとめ

コールド・マウンテンを見れば自然の描写が多く、それらの光景にとても心を癒されます。

また、オープニングからエンディングまで数多くの動物も登場します。

食用となるためにかわいそうなシーンもありますが、それもまた自然の摂理と捉えることもできます。

奴隷制度から南北戦争という決して忘れてはならない歴史のテーマを扱っているなかで、大自然を見せることによってその制度を皮肉っているかのようにも感じます。

そんな摂理はないと。

この映画では残念ながら悲劇になってしまっていますが、エイダは最後にこう語っています。

「あなたの旅は報われた」のだと。

おそらく戦争が無ければふたりは幸せな生活を送ったと思えますが、ふたりの純愛が辿った道と歴史に目を向けさせる作品として心に残る映画になっています。