映画『パルプフィクション』の見逃せないポイントはコレだ!!

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映画について

二人のギャングと、そのそばにいた奴らが交差する、誰も予想ができないふざけた話>

スタッフ/キャスト

  • 監督:クエンティン・タランティーノ
  • 出演:ジョン・トラボルタ、サミュエル・リー・ジャクソン、ユマ・サーマン、ブルース・ウィリス、ティム・ロス

あらすじ

「強盗カップルの話」

あるレストランに二人のカップルがいた。カップルは金もうけをする話をしていた。カップルは今いるレストランを襲うことに決めた。

そして…

「二人のギャングの話」

口喧嘩ばっかりだが、仲がいいギャングがいた。そのギャングのボスが必要なモノを若い素人たちが奪った。ギャングは若いやつらに落とし前として死を与えた。

そして…

「ボクサーの話」

落ち目のボクサーは金と引き換えに、ボスに八百長するように命じられた。しかし、ボクサーはリング上で相手を殺してしまった。追われる身となったボクサーだが、逆にギャングを殺し、ボスを轢き殺そうとした。

そして…

はじめに

当ブログの映画ページでは、映画の魅力をより伝えられるように、私の視点で「レビュー」や「感想」を書いています。(ネタバレ含みますのでご注意を!)

例えばこのシーンを見ると、より感情的配慮があったり、技術的に訴えているなどの意味合いなど、細かい部分などにあたります。もし、お手元に映画があるなら一緒に見てもらえると、より分かりやすいと思います。

もちろん、私自身勉強しながらの分析なので、皆さんとの見方と変わることや間違っていることも多々あるかもしれません。

でも、そこは映画という芸術の感想や意見であり、議論が活発になることはむしろ喜ばしいことだと思っているので、皆さんも色々と思考を巡らせてもらえたらなと思います。

それでは始めて行きます!

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キャラクター性について

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冒頭でパンプキンとハニーバニーがレストランで会話をしています。

鑑賞者としては特に意識せず二人を見ていきます。ただ面白いことに、この二人が重要なキャラクターだと感じることはできるのですが、主人公ではないことが何となく分かります。

なぜでしょうか?

ただ主人公とは見えないだけ? それとも会話の中身から主人公らしさを感じさせないから? 頭の中で、この二人は主人公ではないと勝手に決めつけてる?

これは、おそらくこの二人を主人公とするためのキャラクター像としての強調が薄いからです。それはこのシーンのビジュアルデザインに注目することで分かってきます。

彼女の服装は、この空間とソファと同じ色合いになっています。彼氏の方はテーブルと同じ色合いの服を着ています。また、二人の髪の色も同じような色合いです。

そして、照明が、わざと「二人をこの空間の一部」として見えるように当てています。窓の外からの光を強くし、店の内側には反対に影がつくようにして、二人の存在感をぼやけるようにしています。

話自体も重要とは思えない中、レストランを強盗しようなんていうバカみたいな会話が続いていくだけで、冗談にしか聞こえてきません。

このように会話だけでなく、そういうビジュアルデザインの効果もあり、何となく主人公らしさを感じさせないのです。

しかし、いきなりパンプキンが銃を取り出し始めたりします。そしてお互い「愛してる」とキスをし決意するわけです。フレーム的にも一歩下がってフルショットに変わります。

「え?本気?」と、ここで鑑賞者は違和感を感じるわけです。

そして、実際に二人が立ち上がって銃を店に向けます。立ち上がったことで二人のみがメインで映り、窓の外の光がバックになることで、二人の正面には影がつきます。

つまり、これでハイコントラストの絵ができあがったことになります。ハイコントラストの役割として考えると、これは鑑賞者に注目を促させるために作っています。

今まで何となくぼやけて強調されていなかった二人が、いきなり強盗をするという本気度を見せられると共に、フレーム内においてもここに来てキャラクター性が強調されるわけです。

では、次にギャングであるヴィンセントとジュールスの絵になると、今度は面白いことに二人が主人公であると一発で感じます。

それはなぜでしょうか?

これは、物語の構成的にも後から出てくる俳優の方が主人公と位置付けられることが多く、鑑賞者自体がそれに慣れているところもありますが、それだけでは的を射ていません。

パンプキンとハニーバニーのシーンと違い、この二人が最初からフレーム内で際立って見えるからです。それは、二人が着ている服が黒のスーツであり、髪も黒いため、どの背景にいても二人が際立つようにコントラストを作られているためです。

当然ながら背景自体もスーツの黒が映える色合いにしたり、そのように照明を使っているのは言うまでもありません。

醸し出す緊張感

ヴィンセントとジュールスが、ボスのケースを奪った若い素人たちのアパートに入るシーンですが、一階のエントランスでは垂直に構成され秩序だった場面で構成されています。

また、カメラが設置されてある場所が部屋の上方にあり、ハイアングルにして監視カメラのように二人を捉えてさせています。

これは誰かの代わりに鑑賞者が監視役になっていることを表し、これから起こることに対し手が出せないような不安を煽っているわけですが、当の二人は左のエレベーター前で、堂々と会話をしています。

つまり、この二人には監視カメラがあるような高級なアパートであっても、決して動じない性格であることを伝えています。

エレベーターを降り、廊下を歩き、素人たちの部屋に入る前に、ジュールスが時間が早いことを理由に時間つぶしをします。

この時、今までくっついてきたカメラが離れ、フルショットで二人を映すようにするので、今度は二人をその場でのぞき見しているような錯覚にさせます。これにより第三者の視点で見ることになり、この二人の怖さがだんだんと醸し出されていきます。

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また、奥の背景にEXITの文字が見えていますが、ジュールスの体で塞がれており、逃げ場がないことも示唆させています。

そして、ブレットたちの部屋に入ると、いよいよ一触即発の雰囲気が漂います。その中でヴィンセントは何も気にせず部屋の奥に向かいます。

理由はボスのスーツケースを探すためなのですが、ここで、椅子に座ったブレット(ハンバーガーを食べている男)をジュールスとヴィンセントで挟むような配置にさせています。

これにより、本当に逃げ場がない状態を作り出し、緊張感がどんどん高められていきます。

ヴィンセントがランスからクスリを買うシーン

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ヴィンセントが部屋に入って、売人であるランスが左側のベッドに寝て、ランスの姿は右側の鏡に映っているシーンです。

ここでカメラは、かなり下からのローアングルで撮っていて、部屋の線が全体的に斜めになるようにしています。

とても不安定に見え、このシーンで売買をしているクスリを使った際の多幸感による効果を狙っているのではないかと思われますが、この映画ではしばしばこのアングルが使われています。

おそらく画面構成として平面的にしたくないのと広く見せるためとしての撮影上の効果が考えられますが、このアングルを強調したい理由が別にありそうです。(まだ見いだせていません)

また、左側の壁には赤い車が入った小さい絵が飾られています。また、正面の壁には女性用の高いヒールが飾ってあります。なぜ、壁に女性用のヒールなのか、これは正直よく分かりませんがw、これらはこれから起こるメタファーになっていると考えます。

ミアがクスリを使って倒れたあとに、ヴィンセントの赤い車でヒール(女性)を象徴とするミアを連れてくるからです。

ヴィンセントが車に乗りながらランスに電話している際、ランスが「俺は関係ねーだろ!!」とヴィンセントと話すあたり、正にメタファーを自分で具現化させているジョークになっていると捉えられます。

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ミアのシークエンス

ジャック・ラビット・スリムというレストランにヴィンセントが運転する車を駐車すると、ネオンの光がガラスに写っていて、そのネオンの線が二人を繋げていることを強調しているように見えます。

そして、レストランに入り、オープンカーを模した席につき、二人は注文を頼みながら会話をし始めます。

ヴィンセントがミアのシェークを飲んだあと、二人は「気まずい沈黙」をするのですが、ここでカメラが二人の横顔をミディアムクローズアップで交互に取り始めます。今まで使われなかったアングルですが、これは背景から二人を区切るためにおこなわれています。

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鑑賞者に、これからこの二人が親密になっていくであろうと期待をさせているわけです。よくある他の映画でこの後のシーンを想像した場合、ここで親密な会話をしていたのなら、シーンはベッドの上というのが常套になりますね。

しかし、ここでミアが化粧直しにトイレに行くと言い放ち、この雰囲気を一旦緩めます。ただ、ヴィンセントが目を向けた先に、モンローのセクシーな映画の再現シーンを交えて見せていることで、ヴィンセントとミアの期待感を無くしているわけではありません。

とは言え、ミアはトイレでクスリを使うことで、クスリの常州であるという別のメッセージをわざわざ伝えています。

ミアが帰ってくると、先ほど映していた横顔のミディアムクローズアップはもう使われません。会話の内容もミアの足を揉んだとされるアントワンの一件になり、内容的にも親密さが感じられなくなるからです。

そして、レストラン内のツイストコンテストに出演するとミアは言います。正直、親密なのかそうでないのか良く分からず鑑賞者は置いてきぼりにされそうになるのですが、家に帰るとまだその雰囲気は残っているように感じます。

しかし、そのあとに待つのは、ミアがヴィンセントのクスリを勝手に使ったせいで、ミアが死にそうになるという展開です。

長い会話劇を単調にせず、どうやって鑑賞者に注目させていくか。大がかりなアクションを入れなくても、誰も予想が出来ないドラマチックな展開をどのように構成していくか。

ミアのシークエンスだけ見ても非常に練られていると感じます。

まとめ

この映画は、見る人を自分ですら予想もできない内なる感情を引き起こしてくれます。次に何が起きるかなんて分からず、映画任せにするしかありません。

また、基本的には会話劇であり、どうでも良さそうなことばかり話しているように見えますが、その中でしっかりと伝えたいことをアクションと交えて伝えています。また、それを演じる俳優たちの演技力にも注目したいですね。

作品としてはもちろんのこと、様々な角度から感情を揺さぶる映画としてとても見ごたえがあります。

  • ギャングだって、誰だって、人生何が起きるか分からない
  • 生きるか死ぬかなんて曖昧な境界の上でしかない
  • いくらキザでカッコつけてても、死ぬほどダサくもなる
  • 暴虐をつくしても、悔い改めるならやり直せるかもしれない

こんなことをこの映画では伝えているような気がします。

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