荒々しくも痛快な映画『トゥルー・ロマンス』

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はじめに

今回は1993年公開の映画『トゥルー・ロマンス』について考察してみました。

この映画は若き世代の無鉄砲さが全開の作品です。

登場人物には今のハリウッド界を代表する若き頃の俳優たちを堪能できる映画になっていいます。

さて、この記事では映画『トゥルー・ロマンス』を自分なりにレビュー・解説しています。

独自に『トゥルー・ロマンス』を考察しているので、この記事と合わせて見てもらえば、より深く作品を味わうことができるでしょう。

とてもバカらしく粗削りですが、面白い作品になっています。ぜひご覧になってください。

レビュー・解説にあたって

当ブログの映画ページでは、映画の魅力をより伝えられるように、私の視点で映画の中身について語っています。(ネタバレ含みますのでご注意を!)

例えばこのシーンを見ると、より感情的な配慮があったり、技術的に訴えているなどの意味合いなど、細かい部分などにあたります。もし、お手元に映画があるなら一緒に見てもらえると、より分かりやすいと思います。

それでは始めて行きます!

映画の概要

スタッフ/キャスト

  • タイトル:トゥルー・ロマンス
  • 監督:トニー・スコット
  • 脚本:クエンティン・タランティーノ
  • 出演:クリスチャン・スレーター、パトリシア・アークエット、デニス・ホッパー、ゲイリー・オールドマン、クリストファー・ウォーケン、サミュエル・L・ジャクソン、ブラッド・ピット、ヴァル・キルマー
  • 公開:1993年

あらすじ

決して裕福ではない青年であるクラレンスが、コールガールをしていたアラバマという女性に恋をする。

クラレンスはアラバマのポン引きをしていた男を殺し、偶然にもそいつが持っていた大量のドラッグを手に入れることになる。

クラレンスはそのドラッグをハリウッドの名物プロデューサーに売って、大金を欲しがろうとするが警察の罠とマフィアとの対立が重なり修羅場に見舞われる。

フレームを斜めに見せる理由とそうする意味

クラレンスがアラバマを自分の仕事場に連れていったシークエンスです。

ここではクラレンスがどのような仕事をしているかが示されます。

クラレンスはコミックショップで働いていて、それに関する内容をアラバマに伝えます。

アラバマもそんなクラレンスの言葉を興味を持って聞きます。

ただ、このシーンではちょっと面白いことをしています。

クラレンスがコミックショップにアラバマを連れてきたという設定なのですが、クラレンスは店の電気をつけるために奥の吹き抜けになっている2階にいます。

そして、そこからクラレンスはアラバマを見ているようなフレームにしています。

その見え方(フレーム)が斜めになっているのです。

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なぜ斜めにする必要があったのでしょう?

大抵、斜めなショットを作る際は、主人公が不安定な状態を表現します。

例えば「緊張感」や「混乱」を生じているなどです。

ところがクラレンスやアラバマにはそのような意味合いがありません。

この前後のシークエンスを見ても特に問題を抱えているわけではないからです。

ではどういうことでしょうか?

単純な理由としては、クラレンスが店の電気をつけるという設定のためです。

電気をつけるにあたり、店が明るくなったと見せる必要があります。

そのため、カメラがあえてライトを映すようにしているわけです。

クラレンスが存在しているように見せているカメラは、このライトが見える2階にあります。

ここで普通の水平のアングルで見せてしまうと、電気がついていく様子があまり分かりません。

そこでカメラを斜めにして、より天井から釣り下がった電気の数を多く見せているわけです。

しかし、もちろんそれ以外の意味もあります。

このシークエンスの前はクラレンスとアラバマが店でパイを食べているシークエンスになります。

二人はお互い向き合って、テーブル席に座って会話をしています。

つまり、お互いの距離が近い状態です。

その後にこのクラレンスの店のシークエンスです。

例えば、そのまま二人が同じ距離間で店に入って、クラレンスがライトを付けにいくという構成にしたと考えます。

すると途端に説明的なシークエンスになります。

説明的になるとあまり面白くなくなるので、おそらくその部分はカットしていると考えられます。

しかし、二人が同じ距離感でいると今度は動きがありません。動きがないとこれまたつまらなくなるので、あえて二人を離したかったというものです。

それにより、クラレンスは2階からアラバマに向かってライトを点け、階段を降りていくことになっていきます。

そうすることで離れていた二人がどんどん近づくように見せることができ、お互いの親密感も効果的に見せられるというわけです。

そしてこのままベッドシーンにしてしまい、観客へのつかみを取るという感じです。

こうしてただの不安定さを表わすだけでなく、会話に合わせて敢えて構図を変えつつも、画面上にも動きを与えているわけですね。

アラバマを徹底的に痛めつける理由とは?

クラレンスたちが、プロデューサーの交渉役であるエリオットと取引の話をつけたところです。

アラバマがクラレンスと一時的に別れ、モーテルに入ると銃を構えたヴァージルが居座っています。

アラバマは突然すぎて動揺が隠せません。

そんなアラバマを、いかにも優しくさとしながら脅していきます。

そしてアラバマに何度も暴力を振るって痛めつけていきます。

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観客にはとても痛々しく見える残酷なシーンです。

アラバマは血だらけになっていきますが、しかし決して屈しようとはしませんでした。

傷つけられながらもヴァージルを倒そうと必死に戦い始めます。

この光景はクラレンスがドレクセルと戦ったことと同様です。

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アラバマもクラレンスと同じ目に遭わせ、正当防衛としても同じ罪を被せることにしているのです。

こうしてクラレンスとアラバマの二人にきつい試練を与えるようにし、物事がそう簡単に上手く運ばないことを示しています。

エレベーター内でのクラレンスの突然の脅し

クラレンスたちがドノヴィッツと取引するために向かったホテルで、エリオットたちと共にエレベーター内に乗ったシーンです。

ここで、突然クラレンスはエレベーターの停止ボタンを押して止め、エリオットに「何か怪しい」と銃を突きつけ脅します。

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クラレンス以外、突然すぎて誰も意味が分かりません。

観客は警察がエリオットにスパイをさせていることが分かっているので、クラレンスが気づいたのかも?と思ってしまいますが、しかしそのようなシーンはありませんでした。

ですから観客も驚くことになるのですが、それにしてもクラレンスは本当に怪しいと思っていたのでしょうか?

もし、「何か怪しい」とクラレンスが思えるなら、クラレンスには本当に何か別の力を持っているのでは?と感じてしまいます。

しかし、そんな描写はありません。

では、アラバマが痛めつけられたことで、どうしようもない怒りがありその反動であんなことをしたのでしょうか?

それもあまり感じられません。

となるとクラレンスの怖さを教えておくためでしょうか?

しかしエリオットを脅したあとに謝っているのでこれもまた違います。それに、だとしたらエリオットでなくドノヴィッツにやるべきでしょう。

答えとしては残念ながら正直分かりません。

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考えられるのは他の映画の影響ではないかというところです。

このトゥルーロマンスの劇中に出てくる映画はいくつかあります。

脚本家のクエンティン・タランティーノが映画好きであるからです。

それもあって映画館での映画やビデオの映画だけでなく、映画のタイトル名やポスターなど色々と出てきます。

つまり、その映画のどれかにエレベーターで脅すようなシーンがあったのではないかということです。

正直ただの想像であり何の確信もありませんが、クラレンスも映画好きなのでそういったシーンに憧れて真似てみたと考えられるからです。

確かに映画好きなら、自然と密室を作れるエレベーター内でのアクションは真似てみたいと思います。

そういった映画は数多いですから。

したがって、実際にトゥルーロマンスに出てくる別の映画を見てみたほうが、この答えにたどり着くかもしれません。

もしかしたらたどり着かないかもしれませんw

ぜひ知っている方は先に教えてくださいw

(もしかしたらエルビスのシーンがこの前にあって、そこはカットしたのかなとも思っています。)

マフィアのココッティがクラレンスを追いかけなかった理由とその裏の話

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クラレンスの父親を殺した張本人である、ココッティはロサンジェルスには来ませんでした。

来たのはココッティの部下である、マフィアの男たちだけです。

あれだけのドラッグの量を考えたら、マフィアの事件から考えてもココッティ本人が出向いてもよさそうです。

なぜなら、クラレンスの父親のところにはわざわざ出向いているような人物だからです。

そのような人物であるココッティは、なぜロサンジェルスには来なかったのでしょうか?

これは残念ながら物語上では明確な答えは分かりません。

ロサンジェルスに来た他のマフィアたちもココッティの話は特にしていないからです。

クラレンスとアラバマはどこか?という質問をしているにすぎません。

こうなると推測するしかありません。

スケジュール上の問題

単純にココッティの俳優である、クリストファー・ウォーケンのスケジュールが取れなかったというものです。

しかし、これはあまりにも信憑性がありません。

ココッティはあそこまで前面に押し出したキャラクターなのですから、それをミスミス、スケジュールを確保しないなんてありえないからです。(まぁ推測ですけどw)

脚本上の話

脚本上の話だとすると、何となく合点はいきます。

映画と同じで、もともとココッティはロサンジェルスに行く予定はなかったというものです。

ココッティ自らデトロイトからロサンジェルスにまで向かうということは、さすがにマフィアの幹部はしないというものです。

ですから、部下たちだけを送ったというわけです。

しかし、この方法をとったことで、ある一つの事実がクラレンスにおおやけにされないままになってしまいます。

それは、「クラレンスの父親がココッティに殺された」というものです。

そのため、クラレンスはこの事実を知ることなくメキシコに向かうことになります。

では、ここでココッティもロサンジェルスに来て、クラレンスを追いかけるようにしたと考えてみましょう。

そうなると、物語をいろいろと変えなければならないことに気づくはずです。

ココッティもロサンジェルスにやってくるということであれば、物語の軸が変わります。

クラレンスがドラッグを売る話ではなく、クラレンスはココッティから逃げる話になるからです。

そして、クラレンスは結果的に捕まり、そこで父親が殺されたことを知ることになるでしょう。

そうなると、ドラッグを売るうんぬんの話ではなく、クラレンスはココッティを復讐する話にもっていかなければなりません。

なぜなら、クラレンスはアラバマをポン引きから助けようとするほど無鉄砲な男だからです。

つまり、ココッティを倒すことで父親の復讐を遂げようとする話になっていきます。

しかしお分かりの通り、これでは脚本が全く変わります。

最後の銃撃戦のように「クラレンスたち」、「警察」、「マフィア」という三者三様がおもしろくおかしく集うことは出来ないでしょう。

ちょっと話はずれますが、この映画のエンディングはもともとハッピーエンドではなかったという事実です。

監督であるトニー・スコットが「バッドエンド」から「ハッピーエンド」に変えたというのです。

もちろん脚本家である、クエンティン・タランティーノはこれに対し『反対』をしたそうです。

それもそのはずです。

上記の説明の通り、クラレンスはココッティと出会うことはありません。

父親を殺されたことも知りません。

そして、クラレンスには犯した罪があります。

罪を背負ってしまった以上、その罪は償う必要があります。

だから、クラレンスにはハッピーエンドはやってこないはずなのです。

バッドエンドがどのようなエンディングだったかは分かりませんが、おそらくクラレンスは死亡したはずです。

つまり、むしろそれが自然なエンディングになるので、ココッティと出会う必要もなかったし父親が殺されたという事実もクラレンスは知る必要がなかったのです。

ところが、エンディングを変えてしまった結果、クラレンスが知らない事実を残したままになってしまいました。

映画はより多くの人に見てもらう性質上、ハッピーエンドが良いのは分かりますが、正直「タランティーノが正しいよ~」と思ってしまいますね。

まとめ

トゥルーロマンスはアクションもラブロマンスもいっぱいです。

クラレンスはアラバマにどこであろうと常にキスをしています。

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ちょっと羨ましいですw

さて、この映画では「とにかく派手に生き、後先のことなんて考えない」という若者を代表するような映画になっています。

クラレンスは心の中に「エルビス」という男の中の男を持ち、怖いもの知らずです。

そんな男が愛する女を持つと「どういう行動ができるのか」というものを見せてくれます。

無鉄砲ではありますが、一途な恋から自分の可能性をかけるというのは憧れます。

クラレンスは言っています。

「人生はそういうものさ だが逆転することもある」と。

たしかに生きていく中ですべてが自分の思うようにはいきません。

しかし、誰にでも何かの逆転はしたいという本音もあると思います。

もし今何かに我慢していることがあれば、この映画を見てスカッとしてみるのもいいかもしれません。