はじめに
今回は2003年公開の映画『エターナル・サンシャイン』について考察してみました。
この映画は恋愛物語ですが、予想の右斜め上を行くとてもインパクトのある恋愛物語になっています。
映画的には当然とも思えるアカデミー賞の脚本賞を受賞しています。
さて、この記事では映画『エターナル・サンシャイン』を自分なりにレビュー・解説しています。
独自に『エターナル・サンシャイン』を考察しているので、この記事と合わせて見てもらえば、より深く作品を味わうことができるでしょう。
この映画は、恋愛ドラマだからと言って敬遠している方にこそ見てほしい作品になっています。間違いなく見て後悔しない映画です。ぜひご覧になってください。
レビュー・解説にあたって
当ブログの映画ページでは、映画の魅力をより伝えられるように、私の視点で映画の中身について語っています。(ネタバレ含みますのでご注意を!)
例えばこのシーンを見ると、より感情的な配慮があったり、技術的に訴えているなどの意味合いなど、細かい部分などにあたります。もし、お手元に映画があるなら一緒に見てもらえると、より分かりやすいと思います。
それでは始めて行きます!
映画の概要
スタッフ/キャスト
- 監督:ミシェル・ゴンドリー
- 脚本:チャーリー・カウフマン、ミシェル・ゴンドリー、ピエール・ビスマス
- 出演:ジム・キャリー、ケイト・ウィンスレット、キルスティン・ダンスト、マーク・ラファロ、イライジャ・ウッド
- 音楽:ジョン・ブライオン
- 撮影:エレン・クラス
- 編集:ヴァルディス・オスカードゥティル
- 公開:2004年(日本:2005年)
あらすじ
女性に奥手な男が海を散歩していたらある女性に出会う。
その女性は、男とは真逆の性格を持っていた。
男はすぐに惹かれその女と付き合い始めたが、次第にお互いがズレていき、別れることになってしまう。
男は女を諦められずにやり直そうとしていたが、女は男の記憶を消していた。
『恋愛の記憶』は良いものだけ?
恋愛を題材に、『記憶と記録』を大きく扱った作品です。
『エターナルサンシャイン』を見た人は、誰しも自分の過去の記憶を呼び覚ますことになるでしょう。
それは良い記憶もありますが、どちらかと言うと『悪い、嫌な記憶』のはずです。
ジョエルとクレメンタインの過去が赤裸々に語られていくからです。
そういったシーンを見ると、観客も自分自身の苦い記憶を掘り起こさずにはいられません。
どうしても自分自身と主人公たちと比較してしまうからです。
まさに『映画』としての体験ができます。
そして、この映画は愛とは何かを問き、誰にでもある恋愛の未来を語っていきます。
恋愛は必ずしも相手を思いやることだけではありません。
どんなに相手を好きになったとしても、時間が経てば相手の嫌なところが見えてきてしまいます。
そして、この『エターナル・サンシャイン』のように、それを相手に「気に入らない」と言うことが難しいのもまた事実です。
恋愛をしていれば、相手を思いやるほど、どうしても嫌なことには目をつぶっていかなければならないのが分かると思います。
そして『エターナル・サンシャイン』では、そういった誰にでもある普遍的な恋愛を包み隠さず映していきます。
もしかしたら今気まずい雰囲気のカップルには、この映画を見るのはオススメできないかもしれませんw
記憶の断片で見せる一本の芯
『エターナル・サンシャイン』では、記憶の断片をこれでもかと映していきます。
その断片はもう、てんでバラバラです。
ある時はジョエルの感情であり、ある時はジョエルが記憶を無くそうとしたこと、ある時はクレメンタインと過ごした日々。
観客にその記憶の断片を見せられても、何かを考える前に次の展開に向かっていってしまいます。
これでは、観客はくぎ付けになるしかありません。
ただの恋愛映画を見にきたと思ったら、何もかもが予想の右斜め上になっていくからです。
もはやこの映画を見ている間は冷静に考えることなどできません。
しかし、そんなバラバラな構成にしつつも一本の芯が通っています。
『どうしてジョエルはこうなったのか?一体何があったのか?クレメンタインとどうして別れたのか?』などをぎりぎりのバランスで映していきます。
観客を混乱させつつも、段階を経てその解答を少しずつ見せていく過程が素晴らしいです。
また、周りの俳優たちにもそれぞれに個性と背景を持たせ、全てがジョエルとクレメンタインの関係者になっていきます。
この、どの人物にもドラマを持たせているところが秀逸ですね。
パズルのような脚本
脚本から考えると、この物語をまとめた書き手がすごいです。
この『エターナル・サンシャイン』の脚本には『ミシェル・ゴンドリー、チャーリー・カウフマン、ピエール・ビスマス』という、3人の脚本家が携わっています。
原案は3人だそうですが、チャーリー・カウフマンがメインで書いています。
どちらにせよ、何となく3人も必要な理由が納得できます。
おそらく、3人で相談しながらこれだけの世界を構築し、チャーリー・カウフマンがまとめていったのでしょう。
とは言え、これを書き上げるには相当な混乱と、迷いがあったと思います。
なぜなら、この映画は全編がカットバックのような構成になっているからです。
それはもう『過去』、『現在』、映画における『未来』までがごちゃごちゃに入れ込んでいます。
どんどん次のシーンが出てきて、長いシーンと極端に短いシーンが連続で積み重なっていきます。
撮影するためのそのシーンを作るには何時間もかかるものを、わずか数フレーム単位でしか映さないシーンもあります。
また、ジョエルの部屋だけならいざ知らず、その場所も目まぐるしいほど変わっていきます。
そういったカットバックやシーン、場所までを構築していくこと、そしてそれをどう結末に持っていくかということが細部まで分かっていないとこれはできません。
しかも、ストレートな構造でない以上、観客をある程度迷わせつつ、でも納得もさせつつというさじ加減は物語を理解すればするほど難しくなります。
その理由はシーンを構築すればするほど、どんどん迷いが生じるからです。
この3人の脚本家たちは、このパズルを見事に構築させています。 素晴らしい手腕と言えるでしょう。
『エターナル・サンシャイン』の半分はSF!?
この『エターナル・サンシャイン』は、半分はSFと言っていいでしょう。
決して宇宙の始まりや人類の起源まで及ぶ作品ではありませんが、物語を『迷宮化』させているからです。
ジョエルだけでなく、観客にも見事に混乱させる世界を構築しています。
それはもう何かがおかしいぞと思う前から壮大な『迷宮』が始まっていきます。
そしてその「迷宮」に観客は、自分の意思とは関係なく勝手に導かれていきます。
それは正に記憶の「迷宮」と呼べるもので、SFでよくある『ループもの』と呼ばれるものになります。
『エターナル・サンシャイン』は『ループもの』
見れば分かりますが『エターナル・サンシャイン』は物語が『ループ』しています。
それは、ジョエルとクレメンタインが『出会い、別れ、記憶を消す、そしてまた出会う』という流れを含んだ物語だからです。
あなたは『それは違う』と思われるかもしれませんが、その答えもまたある意味正しいのでちょっとだけ今はお付き合いください。
まず、ジョエルとクレメンタインの時系列から考えてみます。
- ジョエルは海に行き、クレメンタインと出会います。
- その日の夜はクレメンタインの家には行きますが、ジョエルはそのまま帰ります。
- 次の日の夜に二人は氷の湖に向かいます。
- 朝になり、ジョエルはクレメンタインを家まで送ります。
- クレメンタインはジョエルの家に行きたいと言います。
ここまでの内容はいたってシンプルです。
そして、二人の出会いから別れまでを図にすると以下のようになります。
しかし、次のショットから全てが始まります。
とある青年がジョエルの車に近づき、ジョエルにこう言います。
「大丈夫?困ったことは? なぜここに?」と。(余談ですが、この物語を始めるに素晴らしいセリフです)
ジョエルは気にもしませんが、実はこの青年こそが、この物語が『ループ』だと言える根拠なのです。
その青年の名は、ご存知『パトリック』です。
つまり、このセリフにより、この時点でパトリックはクレメンタインと出会っていることになります。
そして、このあとクレメンタインはパトリックと別れることになり、ジョエルと付き合い始めます。
ジョエルとクレメンタインの二人は付き合い、一通りの思い出を作り、しばらくして上手くいかなくなり別れることになります。
そして、クレメンタインは自らの記憶を消し、ジョエルも記憶を消そうとします。
ところがです。
ジョエルの部屋でスタンとパトリックがジョエルの記憶を消しているときに、パトリックは、すでにジョエルの記憶を消された「クレメンタインと付き合ってる」と言い出したのです。
クレメンタインとパトリックは別れたにも関わらずです。
となると、この時点でパトリックも記憶を消していることが判明してきます。
パトリックはまるで、クレメンタインと初めて出会ったかのように話すからです。
そう考えると図ではこのようになってきます。
これで『ループ』が完成したことになります。
どうやって『ループ』は解かれたのか?
しかし、実は問題はここからです。
そうです。あなたも分かるように大きな疑問が残ります。
それは『メアリー』の存在です。
メアリーは自分も記憶を消していたことが分かり、悲しみと虚しさを抱え、最後に記憶を消した患者全員に「あなたは記憶を消している」と言う事実を伝えました。
その結果、ジョエルとクレメンタインもそれを知り、付き合う前に二人の恋愛が破綻していくことを知ってしまいます。
そして、この時点で『ループ』が途切れることになります。(おそらく)
しかし、よくよく考えてみるとメアリーはジョエルの部屋にいました。
そして、メアリーは以前ハワードと不倫をしていた事実を知ったからこそ、患者にその事実を伝えたのです。
それを考えるとメアリーが来なければ、もしくはハワードが来なければ、ジョエルとクレメンタインのループは続くことができたのです。
しかし、メアリーとハワードはジョエルの部屋に来てしまいました。
一体、なぜ二人はジョエルの部屋に来ることになったのでしょう?
これは分かっていません。
何かの力が働いたのではないかと言わざるを得ません。
唯一考えられるとしたら、『ジョエルがここまでクレメンタインの記憶を消すことを嫌がったのは今回が初めてだった。そのせいで、スタンは記憶を消すことに失敗しハワードを呼ぶ羽目になってしまった。』というものです。
ハワードが来なければ、メアリーはハワードと会うこともなかったわけですから。
つまり、結論としては『ループはしていたが、メアリーのおこないにより、そのループが解かれた』というものになります。
もしくは、メアリーが患者に事実を告げるまでを含めた、もっと大きなループが存在するのかもしれません。
しかし、そこまではもはや考えても答えが出ないでしょう。
もうこの『エターナル・サンシャイン』のループはここまでで十分です。
ただ、最後に。
実はもう一つの疑問も残っています。
それは、ジョエルが付き合っていた『ナオミとは一体誰なのか?』というものです。
まとめ
『エターナル・サンシャイン』は、観客がとにかく引き込まれる映画になっています。
そして、まるで二人の恋愛物語を冒険しているかのように感じられます。
また、観客たち自身の記憶まで混乱にさせていきます。
自分も記憶を消しているのかな?とか消されているのかな?と考えていくような感じです。
これにより、自分自身の性格を浮き彫りにするしかなくなります。
恋愛に対するメッセージとしても、心をえぐられる感じでキツイですね。
ただの恋愛物語ではなく、誰が見ても『迷宮』に入れる刺激的な作品になっています。
ここまでネタバレしておいてなんですが、あなたがもし見ていないのであれば、ぜひご覧になってみてください。