映画『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』が語る、非情な戦争時代とは?

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はじめに

今回は第二次世界大戦の陰で行われていた事実に基づいた『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』について考察してみました。

この映画は第二次世界大戦がどのように動いていたかを赤裸々に表してくれる作品です。

作品的には、2014年度のアカデミー賞で脚色賞を受賞しています。

その他にも俳優のベネディクト・カンバーバッチやキーラ・ナイトレイもそれぞれの賞でノミネートがされていましたが、残念ながらオスカーを取るまでは振るいませんでした。

さて、この記事では映画『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』を自分なりにレビュー・解説しています。

独自に『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』を考察しているので、この記事と合わせて見てもらえば、より深く作品を味わうことができるでしょう。

第二次世界大戦の裏の真相を取り上げた映画作品です。ぜひご覧になってください。

レビュー・解説にあたって

当ブログの映画ページでは、映画の魅力をより伝えられるように、私の視点で映画の中身について語っています。(ネタバレ含みますのでご注意を!)

例えばこのシーンを見ると、より感情的な配慮があったり、技術的に訴えているなどの意味合いなど、細かい部分などにあたります。もし、お手元に映画があるなら一緒に見てもらえると、より分かりやすいと思います。

もちろん、私自身勉強しながらの分析なので、皆さんとの見方と変わることや間違っていることも多々あるかもしれません。

でも、そこは映画という芸術の感想や意見であり、議論が活発になることはむしろ喜ばしいことだと思っているので、皆さんも色々と思考を巡らせてもらえたらなと思います。

それでは始めて行きます!

映画の概要

スタッフ/キャスト

  • タイトル:イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密
  • 監督:モルテン・ティルドゥム
  • 脚本:グレアム・ムーア
  • 出演:ベネディクト・カンバーバッチ、キーラ・ナイトレイ
  • 公開:2014年

あらすじ

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツで使われた暗号機であるエニグマの解読を、数学者が作る機械で暗号を破ろうとする物語。

三つの時代が交差するカットバック

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イミテーション・ゲームでは、「過去を思い返す戦後」、物語の主軸となる「エニグマ解読時期」、そして「親友と過ごした少年時代」の三つの時代を見せています。

編集では、その時代を交互に見せるカットバックを用いているわけですが、三つの時代を行き来するのは珍しいです。

大抵は「今を表す時代」と「思い返す過去」という二軸で進むことが多いからです。

あまりに多くを掘り返るような物語にしてしまうと、観客は何がどうなっているか分からなくなる可能性があります。

それもあってか、親友がいた過去の時代のアランは子供にしています。

子供時代とすることで、その頃の世界を大きく広げずに済むわけです。

少年のアランが学校にしかいない設定がまさにこの理由にあたります。

また、同じ場面設定やビジュアルデザインにすることで、アランの思い出になっていることを一目瞭然にしています。

アランが走る理由とは?

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なぜエニグマ解読機の設計図を描いている間、アランが走る姿を映したのでしょう?

アランを見れば体育会系ではないことが分かります。

バリバリの数学者です。

もちろん「数学者だから走らないのでは?」なんて言ってしまうと大きな偏見にあたるわけで、アランはもともと走ることが得意だったそうです。

しかし、ここではもう一つの理由があります。

それは、編集による時間の操作です。

アランが必死になって設計図を描いている間の時間を視覚的に早めるために、こういった編集をしているのです。

それもあってか、壁に貼られた設計図が多くなるにつれ、アランの走るスピードもだんだんと速くなっていくのが分かります。

苦悩の末、「設計図が出来上がっていくさま」と「走ること」をつなぎ合わせたカットバック手法です。

とても分かりやすい効果を出しています。

しかし、実はこのアランの走る姿の意味はそれだけではありません。

物語の後半で、アランが刑事のノックの質問に答えている際、第二次世界大戦がどういう戦争だったのかを話します。

そこでもアランが全力疾走をしているシーンを映していました。

そして、アランは空と大地のはざまで耐えがたい思いにさいなまれます。

それはエニグマ解読機を必死な想いで作ることに成功した結果が、戦争をコントロールすることになってしまったからです。

神でもない自分が、人の生死を決めていることに血を吐く思いだったに違いありません。

走ることでその辛い現実から逃げようとしますが、結局は自分の戒めにすらなってくれないのです。

自分の思いを叶えるために走って、走って、走り続けましたが、その結果までは、アランも考え付かなかったことが何とも皮肉に感じてしまいます。

アランにとっての現代である「過去を思い返す戦後」は必要だった?

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アランは、アランにとっての現代である戦後で警察に捕まることになります。

その容疑は同性愛という罪状です。

確かにアランの生きた記録をたどれば、アランが同性愛者であったことが分かります。

しかし、なぜその戦後のシークエンスを映す必要があったのでしょうか?

たとえば、エニグマを解読している時代から物語を始めることもできたはずです。

少年時代にまで結局さかのぼってもいますし。

これにはまずオープニングシーンから考える必要があります。

オープニングでアランは逮捕されている状態から始まりました。

主人公が冒頭から取り調べを受けているわけです。

観客にとっては「いきなり逮捕かよ?」と「驚き」を感じることになります。

また、その直後のアランの会話がとても意味深に語られます。

アランは刑事にこう言います。「君に主導権があると思うだろう。だが違う。主導権は私にある」と。

つまり、逮捕された人物の方が優勢に言葉を述べているわけです。

これにより観客だれもが意表を突かれることになります。

そして、「エニグマと天才数学者の秘密」という映画のタイトルもあって、「ただの尋問にはなりそうにないぞ」と思うわけです。

まさに観客をグッとつかむためのシーンにしているわけです。

しかし、それだけでは戦後のシークエンスが必要になる理由としては薄いと感じます。

では、そのほかにも理由があるのでしょうか?

仮に「アランがエニグマを解読して戦争をうまく勝利に導くことができた。そしてその事実は国家の最高機密とされ隠ぺいされた。それがのちに発表されることになった。」という結末にしたとします。

確かにこれでも筋は通りそうなので良いかと思えます。

しかし、これではこの映画の本質が伝わらないことになります。

この映画のタイトルは『イミテーション・ゲーム』です。

逮捕されたアランと刑事のノックとがおこなうゲームのことです。

エニグマが解読できたことを国家で隠し、あやゆる作戦に嘘を与え、膨大な犠牲者をだした第二次世界大戦。

それはアラン・チューリングという人間が機械のように考え、機械のように決断してきたからこそ作られた歴史です。

そのアランが人間なのか?それとも機械なのか?それをこのアランの尋問のシーンで問いています。

そして、その問いはノックだけでなく観客にも向けられています。

我々も考えなければならない問いなのです。

つまり、アランの人間性を考えるこのイミテーション・ゲームこそがこの映画の本質になります。

そして、伝えたいこの『イミテーション・ゲーム』を入れるならどこか?

アランがエニグマを解読している戦時中に入れることはできそうでしょうか?

その場合、アランには自分自身が機械か人間かを考える時間がない状態のため出来そうもありません。

したがって、しばらく経ってからの戦後にする必要があったわけです。

そのゲームの相手もアランが知らないまったくの第三者である必要があります。

アランを知っている人間では意味がないからです。

確かにアランの人間性を取り入れるため、ホモセクシャルという性癖を観客に知らせる必要があったとは思いますが、それは特に重要でないのです。

いかにこの『イミテーション・ゲーム』のシーンを取り入れるかが一番重要だったと言えるでしょう。

こうしたことにより、戦後の取り調べのシークエンスが必要だったのです。

少年時代のアランが嘘をついたわけ

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親友のクリストファーが亡くなったと校長に告げられたシーンです。

少年時代のアランが親友の死に対して、必死に我慢します。

クリストファーは唯一の親友であり、愛する存在だったからです。

しかしアランは校長から親友だった事実を隠そうとしました。

クリストファーの死を疑うより友達ではないと嘘をついたのです。

なぜでしょうか?

クリストファーがアランに結核だったことを知らせてもくれなかったため、怒りがこみ上げてきたからでしょうか?

実際、クリストファーからもらった手紙には「長い2週間が過ぎたら会える」と暗号化されて書いてありました。

確かに、これだとアランが真実を話してくれなかったクリストファーに対し怒りもあったかもしれません。

ここで、少し巻き戻って、クリストファーがアランに暗号の本を渡すシーンを思い返します。

その時、アランが「みんなが口に出す言葉は本当の意味とは違っているよね?だけどみんな意味が分かる。僕には分からないけど」とクリストファーに言っています。

そしてアランが校長に告げる嘘を考えてみます。

これは、アランが悲しみを精一杯抑えた嘘の暗号なのです。

校長に向けて話してはいますが、その相手は校長ではありません。

天国のクリストファーへ向けられた嘘であり、そして観客への嘘なのです。

その証拠に「彼のことそんなに知りませんでしから」という言葉があります。

いつも二人で一緒にいた者同士なのに、そんなわけがあるはずもありません。

アランが「本当のことは言わない。でも、クリストファーには僕が言っている意味が分かるよね?」と暗に伝えているのです。

ただ、これがアランが意識的に発した言葉なのか、無意識で出せたのかはアランにしか分かりません。

真実の愛とイミテーションゲームの答え

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少年時代に、アランは同じ男であるクリストファーに恋をしてしまいました。

ところが愛していたそのクリストファーは突然亡くなりました。

「愛している」という言葉をクリストファーに伝えようとしていた直前にです。

仮にクリストファーにその言葉を伝えていたらどうなったのかは分かりません。

クリストファーもアランに対し好意を寄せていたかもしれませんし、ただの親友としてしか考えてなかったかもしれません。

どちらにせよ、何もクリストファーに伝えられないままになってしまったアランには、答えが一生出ることがないとても辛い想いが駆け巡ったでしょう。

アランはその結果、一生クリストファーを一途に想うことになるのです。

そしてアランがその後にしたことは、完全なる暗号解読機を作り、その機械の名前にクリストファーと名付けたことです。

今で言う、コンピューターに名前を付けたのです。

そして、アランは戦時中の暗号を解読している間、クリストファーとずっと一緒にいられることになりました。

しかし戦争が終わるとクリストファーを処分しなければならなくなりました。

アランにとっては、クリストファー(解読機)を思えばとても悲しい出来事だったに違いありません。

しかし、アランは挫けず、一人でもう一度クリストファーを作りあげました。

そして、ホモセクシャルによる有罪判決が出た時も、刑務所に入ることを選びませんでした。

ホルモン治療を受けることを引き換えに、クリストファーと一緒にいることを選んだのです。

ここで再度考えます。

イミテーション・ゲームのアランは機械か?人間か?の問いです。

アランは戦争を操作し、多大な功績も多くの犠牲も作りました。

それだけを見れば感情が無い機械のような存在にも映ります。

しかし、アランは自らが想う愛の対象を自分で作りあげることに成功しているのです。

とても偏執的だとも思えますが、しかし、ただの機械にはそんなことはできないし、考えることもまだこの時代にはできていません。

必ず人間の命令が必要だからです。

アランは自分の意思でコンピューターを作りました。

それは亡くなった愛する人を生き返らせようと想う、一途なその想いがあって作れたことなのです。

その想いを考えれば、アランが機械か、人間か、は自ずと分かることになります。

まとめ

映画『イミテーション・ゲーム』は第二次世界大戦の裏の真相を語った映画です。

暗号を解読したあとに、本当にこんなことが行われていたのかと想像すると、とても辛い気持ちになります。

正直、「Ultra」が正しかったのかは分かりません。

しかし、映画の最後では戦争終結を早められ、多くの命を救ったともあります。

確かにアランがおこなったことは偉業であるし、アランを非難するつもりもありません。

ただ、やはりどこかで心にトゲが引っかかる想いも感じてしまいます。

もし戦争もなく、アランがそのままコンピューターを開発できていたら、また違った未来があったのでしょうね。

戦争の裏とアランの裏。

その両方を巧みに表現した、とても心を揺さぶられる映画と言えます。