はじめに
今回は『ロード・オブ・ザ・リング 旅の仲間』(THE LORD OF THE RINGS/The Fellowship of the Ring)の解説です。
ネタバレしていますので、読む際はお気をつけくださいませ。
映画の概要
冒頭のあらすじ
ホビット族のフロドは、いつものように彼らの住む緑豊かなシャイア(ホビット庄)で平和に暮らしていた。
そんな折、魔法使いのガンダルフがシャイアに訪れる。
それはフロドにとっても久しぶりの珍客であり、その訪問を心から喜んだ。
ガンダルフは、フロドの養父であるビルボ・バギンズの古くからの友人であり、この度はビルボの111才の誕生会を祝うためにシャイアに訪れてきていた。
ビルボの誕生会は村をあげて盛大に行われ、ビルボにとっても喜ばしいことだった。
ところが、ビルボは会の挨拶の中で「君らと別れる時がきた」と言い、突如別れを告げてしまう。
そしてその瞬間、ビルボの姿が皆の前から消えてしまう。
突然のことにその場にいた全員が驚きの色を隠せない。
しかし、魔法使いであるガンダルフにだけは欺くことができなかった。
ビルボの家に先回りしたガンダルフは、姿が見えないだけになっていたビルボを問い詰める。
ビルボが消えた理由は、ビルボが持つ指輪の力のおかげだった。
ガンダルフは「魔法の力を軽々しく使うな」と言い、これからのビルボの旅には指輪は置いていくようにと指示する。
ビルボはその指輪と離れることが苦痛のようで、なかなか置いていくことができなかったが、ガンダルフの前に屈服する。
そして、ガンダルフにひと時の別れを告げると、ビルボは本を書くためにエルフの里へと向かっていった。
当の指輪は残され、それはフロドへと渡されることになる。
しかし、この時まだフロドは、自分の運命がこの指輪によって大きく変わることになるとは知る由もなかった。
この指輪こそが、中つ国に住む全種族の存亡を掛けるほどの絶大な力を持つ指輪だったのだ。
そして、フロドは過酷な戦いの渦の中心という存在になっていく。
キャスト・スタッフ・受賞歴
出演者 | イライジャ・ウッド,イアン・マッケラン,ヴィゴ・モーテンセン,ショーン・アスティン,ショーン・ビーン,オーランド・ブルーム,リブ・タイラー,ケイト・ブランシェット |
---|---|
監督 | ピーター・ジャクソン |
原作 | J・R・R・トールキン |
脚本 | フラン・ウォルシュ,フィリパ・ボウエン,ピーター・ジャクソン |
撮影監督 | アンドリュー・レスニー |
編集 | ジョン・ギルバート |
音楽 | ハワード・ショア |
公開 | 2001年 |
受賞歴 | アカデミー賞(撮影賞、メイクアップ賞、音楽賞、視覚効果賞) |
あらゆる冒険譚のすべての始まり
ご存知の通り『ロード・オブ・ザ・リング(旅の仲間)』は、長編小説である指輪物語を2001年に映画化したものだ。
原作は3部作という超大作であり、映画もそれに合わせて全3作品としてまとめられた。
そして、それら3作品にはそれぞれサブタイトルが付いており、今回の記事の1作目は『旅の仲間』、残りの2作品は『二つの塔』と『王の帰還』である。(日本版の映画第1作目は『旅の仲間』というサブタイトルが取られてしまっており混乱しやすい)
この指輪物語を書いたのはイギリスの『J・R・R・トールキン(John Ronald Reuel Tolkien )』という元軍人であり言語学の教授である。
実際の執筆は1937年から1949年までだそうで、つまり時代は第二次世界大戦の真っ只中である。
日本とはその頃の社会情勢が全く違うので一概には言えないが、よくそんなさなかにこれだけの大作を書けたなと思える。
そしてそんな指輪物語は、正にファンタジー界のレジェンド的存在となっており、ハイ・ファンタジー(架空世界ファンタジー)の代表作だ。
この作品に影響を受けた人は数知れなく、多くの文学、音楽、ゲームなどあらゆるファンタジーの祖として現在も君臨している。
当然、そんな大きな影響を及ぼすような作品なのだから、2001年以前の1978年にもロトスコープというアニメーション技法による映画化は行われていた。
しかし、製作の難航により前編だけしか作れず完全な形までには作り終えられなかったようだ。
興味がある方はYouTubeに動画が上がっていたので見てみてください
そして20年という歳月の間で、映像における技術が大きく進歩、映像界の革命であるコンピューター・グラフィックスが台頭し始めたことで、こうして真の『ロード・オブ・ザ・リング』の映像化が可能になったことは疑いようがない。
故、J・R・R・トールキンの頭の中のイメージがどれほど再現されたかは最早知る由もないが、この映画のあらゆるビジュアルデザインは実に素晴らしい出来に仕上げられている。
そして、結果的にこの『ロード・オブ・ザ・リング』は、アカデミー賞4つのオスカーと13部門ノミネートという快挙に代表されるように、とても大きな成功を収めたのであった。
映像の壮大さと美麗さで飾られたファンタジー世界の空気感
『ロード・オブ・ザ・リング』は、何よりも映像の壮大さと美麗さに目を奪われる。
現代の人工物が一切ない実在の雄大な大自然から、徹底的な世界観を構築するために作られた精巧なCGまで、映画全体のビジュアルが息を呑むほどの作品として仕上がっている。
オープニングから見れば、指輪と中つ国の深遠なテーマとモルドール国の重厚なビジュアルが迫るその映像には、観客を一気に物語へと引き込み釘付けにしようとする力がある。
また、余談ではあるが、このシークエンスの落ち着いた女性ナレーションも実に良く、それも一役買っている。
そしてそこからは、フロドたちが住むシャイアの牧歌的なシーンから、人間たちの村、サウロンに組みしようとするサルマンたちのアイゼンガルド、気高い種族であるエルフたちの国である裂け谷、鉱脈を掘り続け作ったドワーフ達の元宮殿モリア、エルフの魔女が住むと言われるロスロリアンの森など、物語後半まで様々な風景と世界観を映し出してくれる。
そして、それらいくつもの風景を前に、物語が常に展開していくので視覚的な飽きがこない。
もちろん飽きのこない理由はこれ一つだけではなく、基本的に『ロード・オブ・ザ・リング』という物語がとても長い作品であるのと同時に、都度世界観の説明が必要になる作品であるため、作り手側としてはなるべく観客に停滞感を持って欲しくないという意図も伺える。
従って、冒険譚という意味では当たり前ではあるが、観客は都度新しいシーンに自分の身を置くことになるので、第3者でありながらも本当に自分が冒険しているかのような空気感と緊張感を感じられることになる。
一大叙事詩を彩るキャラクターの多彩さ
『ロード・オブ・ザ・リング 旅の仲間』のキャラクターは実に多彩である。
『人間、エルフ、ホビット、ドワーフ、魔法使い、オーク、トロル』と、正にロールプレイングゲームのキャラクターであり、ファンタジーとしてふさわしい顔ぶれである。
もちろん、作品としての時系列は指輪物語の方が先だが、そういったRPGなどのゲームや小説などを嗜んでいれば、自ずとその名前を聞いただけでどのようなキャラクターかが想像しやすい。
そして、各キャラクターにはそれぞれに特技や趣向が施され、きちんとそれらが徹底して機能されており、どの人物も曖昧な性格付けなどがなされていない。
- 人間は献身的な心がありながら傲慢さをも持ち合わせ、常に脆い存在
- エルフは美しく高貴であり誉れ高い種族ではあるが、そのプライドにより他を寄せ付けようとしない
- ホビットは戦いを好まず平穏を求めるが、少々稚拙なところがある
- ドワーフは鉱石採掘を好む種族であり、どちらかというと大柄な性格のため間違いや誤りを認めようとしない
- 魔法使いは熟達した精神と魔法の力を持ち合わせているが、その思考力が災いして過ちにも手を染めやすい
- オークはかつてエルフではあったが、暗黒の力に捕われてしまった悲しき存在
他にもナズグル、トロル、バルログなどなど敵側のキャラクターも多く、画面内に所狭しと現れる。
このように敵、味方問わずキャラクターたちだけでもこの世界に彩りをもたらし、きちんとした性格付けと態度付けにより、どのキャラクターにも魅力を感じる。
また、フロドたち一行を見てみれば、目的は同じであってもそれぞれがそれぞれの考え方を持って行動するので、時にぶつかり、時に助け合うことを見せられていく中で、皆に対し感情移入がしやすい。
しかも、裏切り役の代表格である人間のボロミアも、最終的には自らの命を賭して仲間を守り救おうとする。
物語的にはずるい役回りなのは間違いないが、それでも彼の魂は一人の英雄として観客の心に残ることになる。
また、ガンダルフの古き友人である魔法使いサルマンは、冥王サウロンに戦っても無駄だと信じてしまい、そうであるならば元より自分は悪に組み、中つ国を支配しようと戦争に加担する。
サルマンの決断は潔いが、それは自らの尊厳を失うことであり、この考え方もまた直接観客にも訴えている。
このように『ロード・オブ・ザ・リング 旅の仲間』のキャラクター自体、魅力的な存在なのである。
一つの指輪を取り巻くその物語性
『ロード・オブ・ザ・リング 旅の仲間』は一つの指輪を巡る物語ではあるが、その物語上の前提条件がきちんと練られていることに感嘆する。
その要約は…
指輪は中つ国に合わせて19与えられ、それぞれが治める力としてエルフ、ドワーフ、人間へともたらされた。
しかし、冥王サウロンが、全てを支配できるどの指輪よりも強いもう一つの指輪を作っていた。
というもの。
つまりは、たったこれだけの話であるのにも関わらず、もうこの時点で面白そうな話だと思えるわけだ。
これは、J・R・R・トールキンが比類ないアイデアの持ち主という証拠であり、指輪物語の大きな魅力の一つだと言えよう。
そして、この『旅の仲間』で言いたいことは、指輪の魅力と誘惑を前に各登場人物がどのように行動できるかというものだ。
皆、指輪の力を知り、フロドが持つ指輪を一度でも見てしまうと、誰しもがその指輪の誘惑に駆られることになる。
これは当然であろう、この世を支配できると謳われる指輪が目の前にあればその虜になるのも頷ける。
どんなに聖人であろうと、この誘惑は大きすぎるわけだ。
したがって『旅の仲間』では、常に登場人物たちの指輪に対する心の葛藤が映し出される。
観客は、どの登場人物たちにも、指輪の前では表向きの顔と裏向きの顔があると勝手に想像してしまい、その彼らの表情だけでは本当に正しい行いができるかを疑ってしまう。
この表裏一体の描写が見事で、私たち観客も常に心が揺れ動いてしまう。
映画には葛藤が付き物だが、主人公に降りかかる葛藤だけではなく、登場人物全員に試される葛藤を持ち合わせているのが『ロード・オブ・ザ・リング 旅の仲間』の大きな特徴と言える。
感情移入が高まる、使命感を持って集まった仲間たち
『旅の仲間』では、フロド合わせて総勢9人の仲間が作られる。
魔法使いのガンダルフから、レンジャーのアラゴルン、エルフのレゴラス、ドワーフのギムリ、ゴンドールの戦士ボロミア、そして、ホビットであるサム、メリー、ピピンという顔ぶれだ。
ボロミアは当初から指輪に誘惑されてしまっているので一概には言えないが、それでも彼ら全員には感情移入がとてもしやすい。
もちろん、最初から感情移入できるわけではなく、物語が進むにつれ段々とそうなっていくのだが、それでも誰一人としてこいつは嫌な奴だなと思うことがない。
これはなぜだろう?
もちろん物語の作り方が上手いのもそうなのだが、それよりも全員が仲間となったシーンの力が最も大きい。
エルフの国で、フロドが自ら指輪を葬ると決めた後、フロドにに付いていくことを彼らは決めた。
その時に、よく他の映画には存在する「仕方ないなぁ」と嫌々付いていこうとする者が一切いないのだ。
むしろ率先して仲間となる決意をしたこの行動は、観客にはカッコよくとても潔い決断だと捉えられ、それが常に頭に残ることになる。
すると道中、例え誰かがミスをし仲間の足を引っ張ったとしても、それをバカにしたり非難することことになっても、ある程度頭の中で抑制してくれることに繋がる。
仮に、あの場で嫌々決断している者がいると、何か事を起こした場合に観客は「やっぱり無理なんじゃ…」と思ってしまいがちであり、そこには感情を入れ込むことが乏しくなる。
しかし、皆が率先して決断していることで、観客は彼らに対して最初から感情移入の底上げをされているのだ。
故に、ホビット族のピピンが、ドワーフの地下迷宮であるモリアで皆を危険に晒すようなことをしても、あまりにも「どうしようもないやつだな」とは思いにくい。
彼らのフロドと共にしようとする決断は、いつの間にか観客にもとても大きな意味をもたらしていることが分かる。
幾多の試練により成長していくフロドの勇姿
フロドは、農業を営み平和に暮らすことを望むホビット族の一人であり、大きな力は持たない。
誰が見てもホビットは弱々しく見え、フロドたちのこの先の旅を案じてしまう。
それでもフロドは自らを律して指輪を持ち、旅に出ようとする。
その理由は、ガンダルフからシャイアに敵が来ることを伝えられたからであり、シャイアの民に危険をもたらしてはいけないという考えがあったからではあるが、その反面、自らが力を持とうとすることも実はできる。
一体フロドの、この指輪を冥王から守ろうとする信念はどこから来るのだろう?
フロドは、フロドの伯父であるビルボ・バギンズと暮らしており、実の彼の父親は早くに亡くなっている。
ホビット族の成人は33歳とのことなので、それまでの育ての親はビルボになるわけだが、ビルボの素行を見るとそこまで父親らしくも感じない。
したがって、フロドが成人になる間、ビルボから大きな信念をもたらされたとは思えない。
ここで道を逸れるが、フロドには共に行動することになるサム、メリー、ピピンという3人のホビットがいる。
サムは常にフロドを守るための衛兵的役割ではあるが、メリー、ピピンに至っても結果的にフロドを守ろうと付いていく決心をする。
これはホビット族の特徴の一つなのかもしれないが、仲間を大事にする心がもとより彼らには育まれているのだろう。
そして、この心はフロドにも当然備わっていた。
フロドはエルフの国である裂け谷で、指輪についての会議中に、モルドールの炎の中に指輪を葬る役目を受けることを決心する。
この時、中央の石柱の台座に載せられていた指輪には、その場に居合わせたものたちが口論している状況が反射して映し出されおり、そのすぐ後に、その指輪の中で皆を取り囲むように周りから炎が襲いかかって来ていた。
そして、これをじっと見ていたフロドは、自らが指輪を葬ることを決心することになる。
このフロドから察するに、そこに映った皆を見ることで、種族に関係なく皆を守りたいと思えたのだろう。
フロドにとってはその場にいた者たちはすでに大きな仲間だと捉えることができ、さらに彼には正しい心を持ち合わせていたからこそ、強い気持ちを持って辛い役目を引き受けることにしたのだ。
指輪の物語でもあり、心の物語でもある
『ロード・オブ・ザ・リング 旅の仲間』は、指輪をめぐる壮大な物語である。
世界観含め、設定から何から何まで、とてつもなく大きく複雑な作品だ。
従って、物語の内容をすべてを頭に入れようとする場合、それなりの時間を要することになる。
とはいえ、『ロード・オブ・ザ・リング』自体のテーマは実にシンプルであるのも事実だ。
それは、『万物を手にし世界を支配することができるという、一つの指輪を巡る』ことがテーマだからだ。
そして、『旅の仲間』のメッセージとなるのは、登場人物たちの『心の葛藤』である。
指輪の誘惑に対し、如何にした行動ができるか、とりわけ、その誘惑に駆られてしまうものの心が揺れ動く描写は多く、それはそのまま観客の心でさえ揺れ動くことになる。
ロスロリアンの森に住むエルフの魔女ガラドリエルは、フロドが持つ指輪に対し、己自身の欲望を試した。
ガラドリエルもまた支配欲にまみれてしまった心を持ち、自らが女王になることを望んでいた。
しかし、指輪はガラドリエルに答えようとはしなかった。
また、ゴンドールの戦士ボロミアも指輪を欲しようとした。
フロドに指輪を持たせ続ければいずれ冥王に奪われる、そうであるならば、自らが指輪を持ち王になろうとすることを望もうとする。
これは、フロドの抵抗により叶わずに終わり、その後はオークたちと戦い勇敢な戦士として果てることになる。
このように、指輪の力を守るか、指輪の力を欲すか、指輪は登場人物たちを葛藤の渦に引き込むが、これはまた直接観客にも投げかけられている。
世界を牛耳ることができる指輪を前にして、あなたならどうするか?と。
ひょんな事から、指輪と運命を共にすることになってしまったフロドとその仲間の物語ではあるものの、とどのつまり『旅の仲間』は観客を常に試している物語でもある。
この、観客にも思考させ、迷わせ、試そうとする点があるからこそ、指輪物語は語り継がれる作品となっていることは間違いないだろう。
どんな人間であれ欲望がないものなどおらず、どうしたって目の前に世界を支配できる指輪があれば葛藤することになる。
まとめ
指輪物語は、ファンタジーのレジェンドであり、後世に多くの影響を残した作品である。
今後も、指輪物語の世界感や考え方を踏襲した作品は生まれていくだろう。
また、最初の作品である『旅の仲間』は、仲間が集う物語であるのと同時に、指輪の誘惑に対し登場人物たちがどのように行動ができるかという物語でもある。
画面には、演者たちの様々な感情が満たされることになり、彼らの揺れ動く心を通じてキャラクターの魅力が大いに伝わってくる。
俳優たち自身もとてもカッコよく、美しい人たちで揃えられており、また、目を奪うような大自然や迫力ある特殊効果などにより、より強調したファンタジー世界を彩ってくれている。
たった一つの魔性の指輪から始まった破滅へと通じる物語は、仲間を想う気持ちを持った登場人物たちの強い魅力と共に、これらからも私たちを試し続けるだろう。
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