はじめに
今回は『シャイニング』(The Shining)の解説です。
ネタバレしていますので、読む際はお気をつけくださいませ。
映画の概要
冒頭のあらすじ
アメリカコロラド州の山中にあるオーバールック(展望)ホテルは、高所にあるため毎年冬になると積雪によって訪問が困難となる。
そこで、冬の間だけ全面的に休業扱いにしてしまうのだが、その間にもホテルを管理する者が必要だった。
今年は、静かに仕事が出来そうだと感じた執筆家のジャック・トランスが、この仕事を請け負うことに決まり、ジャックは妻とひとり息子を連れて一冬のホテル暮らしを始めることになる。
彼らには何も心配するものは無いはずだった。
しかし、このホテルには隠された何かがあった。
キャスト・スタッフ・受賞歴
出演者 | ジャック・ニコルソン,シェリー・デュヴァル,ダニー・ロイド |
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監督 | スタンリー・キューブリック |
脚本 | スタンリー・キューブリック,ダイアン・ジョンソン |
撮影監督 | ジョン・オルコット |
編集 | レイ・ラヴジョイ |
音楽 | バルトーク・ベーラ,クシシュトフ・ペンデレツキ,リゲティ・ジェルジュ,ウェンディ・カルロス,アル・ボウリー |
公開 | 1980年 |
小説版の内容については触れていないこと
先に伝えておくべきことは、当記事では映画版のみの解説に言及していることだ。
『シャイニング』の映画版は、監督のスタンリー・キューブリックが小説版と大きく変更しており、原作者であるスティーブン・キングは映画版に対し痛烈な批判をおこなっていることで有名らしい。
それもあって、本来であれば小説版の内容を加味して書いた方がより突っ込めるのだろうが、実は私はまだ原作を読んでいない。
つまり、小説版と映画版の違いについて詳細を知らないので、小説版の内容には一切触れることができないし、映画版の内容のみでしか考えられない。
もしあなたが、小説版も読んで当記事に来ていただいているのであれば、この点についてはご了承願いたい。
狂気に侵された主人公、ジャック
映画『シャイニング』のジャック・トランスは、主人公でありながら映画史に永遠に残る名悪役の一人である。
俳優であるジャック・ニコルソンの独特な表情も相まって、そのキャラクター像は観客に強烈な印象をもたらしてくれる。
何より、当初は温厚な雰囲気を漂わせていたのにも関わらず、物語が進むほどに段階を経て狂気じみていくその様は見事としか言えない。
また、ジャックの人間性という部分については、感情を表に出すことを厭わないせいで、ある意味正常な人間よりも人間らしく感じてしまう。
ここに悪でありながらもジャックという存在に『妙』を感じてしまう。
観客は、ジャックがどうなっていくのか、どうしようとするのか、悪のまま進むのか、改心するのか、その狭間が気になって仕方がない。
ジャックが正しい人間だったからこそ、悪の道に染まっていくことで、いつの間にかジャックに魅了され、面白くてたまらない存在であると感じてしまう。
善対悪の構図を持った映画では往々にして主人公(正しい側)よりも悪役の方が人気が高い傾向になる。
それは、主人公より何でもできてしまうし、目的のために何でもやろうとするからだ。
行動を起こしているキャラクターの方が、観客にとって魅力的に映るのは当然である。
しかし、シャイニングでは主人公そのものが悪に変わっていくので、主人公としての魅力と悪としての魅力が組み合わされ、さらにその度合いが一層高まっている。
しかし、これだけジャックを褒めておきながら何だが、ジャック自身が最適な主人公かと問えば、それは『違う』と言える。
その理由は逆説的になるが、ジャックは家族であるウェンディとダニーには何も出来なかったからだ。
ジャックは、妻であるウェンディと息子のダニーを脅かそうとするが、実際暴力を受けていたのはジャックの方である。
ウェンディは正当防衛とはいえ、2度もジャックに向かって傷を負わせている一方、ジャックは二人にかすり傷一つすら付けることができていない。
ジャックが持つ力を行使できたのは、ダニーの力によってホテルの様子をわざわざ見にきてくれたハロランを殺しただけである。(もっとも悪行だが)
さらに言えば、ジャックはウェンディに食料庫に閉じ込められるほど弱く、結果的にはグレーディーという存在しえない者に助けられる始末である。
つまり、ジャック・トランスは欠陥のある主人公だと言っていいだろう。
彼は何も目的を達成できず、ただ家族に恐怖を与えただけに過ぎない。
しかし、それなのにジャック・トランスが時を経て語り継がれる魅力溢れるキャラクターの一人になった理由は、前述の理由と合わせて、ジャック・ニコルソンによる名演のおかげである。
息子を守れるものは自分だけ!ウェンディの恐ろしさを感じさせるほどの叫び
ウェンディはジャックの妻でありダニーの母親である。
男性から見ても羨ましいほど、大変ジャック想いで献身的である。
ジャックからの思いやりのない言葉でショックを受けても、ジャックを頼ろうとするウェンディ。
ところが、主人公のジャックが悪に変わっていってしまったことで、物語としては一種の転換点を迎える。
主人公ではないウェンディが、ヒーローとして振る舞わざるを得なくなるからだ。
息子の命を守らなければならないのは自分自身であり、例え最愛の夫であったとしても脅かさせる存在に対しては相対する立場を取るしかない。
そうして、彼女はジャックと対立する。
しかし、その行動にはジャックのことを見捨てるような卑劣なことはせず、人間的に正しく道徳的である。
ウェンディが、ジャックをバットで殴って気絶させた後、重いジャックを引っ張って、あえて食べ物が豊富な食料庫に閉じ込めてしまうことからも彼女の寛容さが読み取れる。
このシーンは、ウェンディの性格の良さをきちんと滲み出しており、正にヒーローらしい行為と言っていいだろう。
ところが、この映画ではそのヒーローらしい行為を無残にもウェンディから取り払ってしまっている。
ウェンディをヒーローとして描くのであれば、観客がウェンディを見守りたくなるようにするのが常である。
ところが、面白いことに観客はウェンディではなく、ジャックを応援してしまうことになる。
それはなぜか?
一つは、先述したように、ジャックの主人公としての魅力に悪の魅力が備わることで、ウェンディ(ヒーロー)よりも魅力的に見えてしまうからである。
そして、重要なもう一つの要素がある。
ウェンディがジャックを食料庫に閉じ込めたシークエンスだが、その肝心なショットをウェンディ側ではなく、ジャック側に焦点を当てている点だ。
本来であるならば、ヒーロー然として行動したウェンディ側に感情移入を抱くことになりやすい。
しかし、このシーンではジャック側への感情移入度の方が高い。
それは『閉じ込められた空間』で叫ぶジャックを真下からあおる構図で映し、異質的でありつつも究極的に弱い立場を見せているからに他ならない。
せっかくのウェンディの良さをあえて消してしまい、それ以上にジャックに感情移入させるように仕向けているさまは、作り手の、何としてでもジャックに観客の心を捕まらせておきたいという意思をも感じてしまう。
そして、それはジャックに言われて雪上車の様子を見に行ったウェンディが、ジャックにその雪上車をすでに壊されていたことを知り、もう走らないことに悲嘆にくれていても、彼女への感情は薄いままだ。
とはいえ、ウェンディも負けず劣らず実に強烈な印象を残してくれる。
ウェンディが自室で熟睡している際に、ダニーがレッドラムと連呼しながらその単語をドアに書き、起きたウェンディがその反対になった単語を鏡で見、それがMURDER(人殺し)と書いてあったシークエンス。
ここでは、その後すぐさまジャックが斧を持ってきてドアを突き破ろうとする。
ウェンディとダニーが何とかジャックから逃げようとするこのシークエンスでは、ウェンディの恐怖感は最高潮に達する。
ジャックがドアを突き破ろうとすればするほど、ウェンディはその恐怖の度に叫び声を上げる。
目を見開きジャックからの恐怖におののいて叫ぶウェンディのその姿に、観客の方が恐怖を覚えてしまいそうである。
ウェンディが表す叫び方には、人が持つ本来の恐怖感というものが実に表れているように思え、彼女のこの迫真の演技は感嘆に値する。
映画シャイニングの怖さは、主人公のジャック自身でもあるが、そのジャックの恐怖を感じるウェンディの恐怖という別の視点でも表現に成功していると言える。
映画『シャイニング』における数々の謎
シャイニングを語る上でというより、語らざるを得ないのが数々の謎である。
そこで、私が疑問に思うこの映画の謎について、以下にざっと挙げてみた。
- ダニーにはなぜシャイニングが備わっていたのか?
- グレーディーとは誰なのか?
- グレーディーの娘である二人の姉妹はなぜ出て来るのか?
- グレーディーの妻はなぜ出てこないのか?
- ジャックはなぜ何者かに取り憑かれしまったのか?
- ダニーが取るボールはなぜ転がってきたのか? 誰が転がしたのか?
- ダニーを傷つけたのは誰なのか?
- ロイドとは何者であり、ジャックはなぜロイドを知っていたのか?
- 237号室にはなぜ若い女と年老いた女がいたのか?そしてこの女たちは誰なのか?一体何があったのか?
- ジャックはなぜウェンディに237号室の女のことを隠したのか?
- The Gold Roomではなぜ祝賀会が開かれていたのか?ここにいた人物たちは誰なのか?
- グレーディーはなぜジャックのことを昔から管理人だったと言うのか?
- グレーディーはダニーがハロランを呼んでいることをなぜ分かったのか?
- ジャックが閉じ込められた食料庫にどうやってグレーディーは来たのか?
- グレーディーは食料庫の鍵を開ける力をどうして持っているのか?
- ウェンディが見た豚の格好?をした者とタキシードを着た男は誰だったのか?
- ウェンディが見た、手にグラスを持って頭から血を流したタキシード姿の男は誰だったのか?
- ウェンディが廊下を歩いて行くと、エレベーターから大量の血が飛び出して来るのは何だったのか?
- ジャックはなぜ雪の中で死を選んだのか?
- 廊下の写真の中にジャックが笑顔で写っているのはなぜなのか?
- 一体あのホテルに何があったのか?
- 毎年どうなっていたのか?
- あちらの世界の人々は何を求め、何を欲していたのか?
他にも細かい点はあるが、少なく見積もってもこれだけの謎がある。
そして、何よりこれらの謎については明確なヒントや答えは提示されないままで映画は終わる。
つまり、謎について最もな謎は、実は、なぜスタンリー・キューブリックはこのような映画にしたのか?というものである。
謎が謎を呼ぶ時系列
前述の謎について、映画を見るだけでは全てを語ることも理解することもできない。
その理由は繰り返すが、映画『シャイニング』に明確なヒントや答えが提示されていないからだ。
しかし、だからと言って、観客として見たからには疑問に思ったことを消化させたいという気持ちもある。
そこで、いくつか考えられるものを抜粋して以下に書き記していこうと思う。
ただ、その前に重要なことは、この映画の世界の時系列をある程度は明らかにしておいた方が良いということだ。
なぜなら、シャイニングの世界は時代を超越した舞台であるからだ。
映画の中で提示される時代は、公開当時であるジャックたちの1980年、グレーディーがいた1970年、そして、最後の写真の1920年の三つである。
過去から並べて主要な出来事を加えると以下のようになる。
- 1920年:過去の写真に映るジャック・トランス
- 1970年:ダンバー・グレーディーの一家殺人事件
- 1980年:ジャック・トランスの一家殺人未遂事件
これらの時代のうち、基本の年は1980年のままで動かない。
しかし物語を見終えた時に、結果的に他の二つの時代がいつの間にか交錯していたことが分かり、観客は途端に混乱の渦の中に引き込まれる。
そのため、これらの時代をあらかじめ念頭に入れておくことで、ほんの少しでも整理しやすいようにしておくことが肝心なわけだ。
加えて、1980年は公開年なので除外しつつも、1920年と1970年の二つの時代について、何か関連性がないか軽く調べてみたが、しかし、どちらもこれといってなさそうではあった。
ただ、調べた中で一つ引っかかったのが、1920年にアガサ・クリスティーがミステリー小説である『スタイルズ荘の怪事件』でデビューをしていた。(まぁ関係ないとは思いますが参考までにw)
ジャックだけが取り憑かれてしまった理由を考えてみる
映画『シャイニング』では、ジャック・トランス一家の中で、ジャックだけが気が狂って別人へと変わり果てていくことになる。
例えば、ホテルに漂う霊体や何者かがいるのだとしたら、全員に対して襲うか、全員に対して狂わせていくようにすると考えても良さそうではある。
しかし、そうはさせていない。
なぜ、ジャックだけを狂気を持った別人へと変えていったのだろう?
それは、ジャックの行動にヒントがあるように思える。
展望ホテルの庭には、観光客用に緑の木々でガーデニングされた、人間の身長以上の大きさで周囲を囲まれるような大迷路がある。
劇中で、ウェンディとダニーがこの迷路に入って遊んでいたシーンだ。
しかし、ジャックは自分の小説を書き上げようとしていたため(実際は小説を書かずボールを壁に投げて遊んでいるだけだったが)、その前のウェンディの「散歩に行かない?」と言う誘いにも乗らず、ジャックは迷路には入ることはなかった。
ただ、ホテルの室内にはその迷路を俯瞰できるミニチュアがあり、ジャックはこのミニチュアの迷路を見下ろすことをしていた。
ジャックはここで、ウェンディとダニーがちょうど迷路の中央を歩いてるのを、どうやってか見えている。
次のショットでは、ウェンディとダニーが迷路を歩いて迷い込んでいるように見えるが、この時実は迷い込んでいたのはそれを見ていたジャックの方であると考えられる。
それはこのミニチュアを見たかどうかではなく、実際に迷路に入ったかどうかという意味でだ。
この迷路に入り、自らの力で迷路を脱出していることで、このホテルからの呪いにはかからなくてすむのでは?と考えられるからだ。
このように考えれば、毎年冬を越すために雇われる臨時管理人が、必ず殺人事件を起こしていない理由も説明が付けられる。
つまり、冬を越す際に参加するすべての人間が迷路に入って出て来さえすれば、その年には何も起こらず、誰か一人でも入らなかった人間がいると、このホテルに宿る呪われた殺人ゲームが始まってしまうというものだ。
今回ジャックは迷路に入らなかった。
そして、1970年代のグレーディーも冬を越す時期に迷路には入らなかったのだろう。
だから、二人は呪われてしまった。
ヒントも何もないが、映画単体で見ればこれがしっくりくるようにも思うし、面白いのではないだろうか。
人々はやれと言われたことをやる
ジャックの気が狂っていった理由は、ホテルにいる何か権威を持った霊体のような存在からの命令だということが見ていれば分かる。
ただし、それがどのような状況で、いつ行われたかという詳しい経緯については分からない。
ホテルそのものの仕業なのか?それとも観客が知り得ない他の誰かなのか?
どちらにせよ、ジャックは霊体のような存在に取り憑かれ、操られて圧力をかけられていく。
これは、大きな権威ある何かに服従してしまった、と言うより服従せざるを得なかったと考えるのが妥当のようだ。
ただし、このような権威に服従してしまうのはジャックだけではない。
映画からは話が外れてしまうが、私たち自身も、権威ある者から圧力をかけられると服従してしまうことが過去の実験によって証明されている。
その実験は、スタンレー・ミルグラムという心理学博士がアメリカのイェール大学で行った服従実験というものである。
ミルグラムのこの服従実験をものすごく端折って簡単に言ってしまうと、被験者(普通の人々)が、別の科学者役に対し段階的に電気ショック(軽いものしか出ない)をどれだけ与えられるか?というものである。
当然、科学者役の人物は苦痛を演技することになるのだが、そこには権威ある者がいて、被験者たちにショックの威力を増すよう励ましたり強い口調で圧力をかけていくわけだ。
この実験の当初の予測では、科学者が苦痛(演技)を伴う前に被験者の人たちが自ら拒否すると考えられていたが、その予測に反して100%の被験者が科学者に向けて『激しいショック』を与えていた。
しかも、65%の被験者はさらに強い『危険を超えたショック』以上のショックすらも与えたというのだ。
これが意味することは、人は誰であれ権威ある者に『やれ』と言われると、たとえそれが非人道的な行為であったとしても拒否することが難しいということである。
その理由は、私たちが子供の頃から『規則ある社会生活に従うべき』と教えられてきたからに由来する。
しかし、それは実験のように、行き過ぎれば非人道的な行いすらも辞さないということになる。
シャイニングのジャックも、権威ある何者かの存在やグレーディーに従うことしかできず、自らに課せられた宿命を受け入れることで、殺人が正しいことだと認識し行動してしまう。
まさにこのジャックの行いこそ、ミルグラムの実験の通り『やれ』と言われたから、やっているということに他ならない。
人々はやれと言われたことをやる
心理学博士:スタンレー・ミルグラム(Stanley Milgram)
ロイドという説明なき存在
本の執筆をしているロビーで、ジャックが、自分がダニーとウェンディを殺していた夢を見ていたと、ウェンディに話したあとだ。
ダニーが、何者かに体にアザを付けられて二人に近づいてくる。
それを見たウェンディは、ジャックに「あなたがやったのね!」と言い放ち、ウェンディとダニーはジャックがいるその場を離れる。
このウェンディの一言にショックを受けたジャックは、廊下を歩き『The Gold Room』という誰もいない大広間に電気をつけて入っていく。
そして、そのまま向かいにあるバーの椅子に座って、顔を手で覆いつつ「あー酒が飲みたい、魂を売っても一杯のビールを」と言い、手をゆっくりどけていくと、目の前に誰もいなかったはずのカウンターに一人の初老の男が立っているではないか。
ジャックはその男を見るなり、少し驚きつつも「ロイド」と以前から知っていたかのように男の名前を呼ぶ。
すると、ロイドが「ご注文は?」と言い、ここからジャックとロイドの会話が始まる。
このように、今まで存在していなかった者がいきなり現れるのだが、このロイドというバーテンダーは一体何者なのだろうか?
しかも、なぜだかジャックの記憶にロイドは存在しているようで、ロイドの記憶の中にもジャックが存在している。
さらに、ロイドの話によると、ジャックは過去からいるオーナーから認められた存在だという。
観客にとっては、いきなり新しい人物が何の前触れもなくポンと出てくるから、混乱が必至だ。
そして、ジャックが酒を払うための金の話をし、財布から金を出そうとするが何も入っておらず、ロイドはツケで良いと言う。
そんな程度の会話を軽くしたあと、ウェンディが突然ジャックのところに駆け込んでくる。
と、ここまでがロイドの初登場シーンだが、この後にもこのロイドという人物は登場してくる。
しかも、そのロイドが再登場するThe Gold Roomでは、誰もいないはずなのに何と紳士淑女が集う盛大なパーティーが開かれているという始末である。
ジャックはそこに何の疑問も思わず足を踏み入れ、またもやバーカウンターに立つロイドの元へと向かう。
そして、いくつか会話を重ね、ジャックが財布から手に出した金(今度は入っている)を渡そうとした際「あなたのは通用しません」とロイドは言う。
ジャックも疑問に思うが、ロイドの「お気遣いなく、少なくとも今は」という言葉で信用してしまう。
ただ、このヒントをそのまま聞き逃すわけにはいかない。
もし、通用しないという意味が1980年の現代ではないということなら、ここは別の時代ということになる。
シャイニングの時代は、前述のように、1980年を除くと1970年と1920年が登場する。
そこで、ジャックの金が使えない理由をアメリカドル紙幣の歴史から調べてみた。
すると、1980年の紙幣を持っていた場合、1920年とは紙幣のデザインや構成が違うので、仮にこの時代が1920年であれば、ロイドの言う通り通用しないことが分かる。
となると、この場は1980年や1970年ではなく、最後にジャックが写り込んでいた写真である1920年と考えて良いのだろうか?
しかし、そうは問屋がおろさない。
ジャックがロイドと話したあと、ぶつかる相手は何とグレーディーだからだ。
そう、あのグレーディーは1970年にいた存在である。
もはやこれでこの空間の時代は明確ではなく、超越しているか、そのような概念すらない可能性を持っていることになる。
その結果、ロイドの経緯については、1920年にいた人物でありそうとしか言えず終いである。
こうしてジャックは、権威ある者にいつの間にか従うことで、本来であればあり得ない状況すらも受け入れられるようになっていった。
さらにThe Gold Roomとロイドのような存在し得ない空間と人々に身を委ね始めたことで、ジャックは人が恐れる狂気を一段と身につけていくことになる。
グレーディーという曰くつきの殺人者
映画の冒頭で、ホテルの支配人であるMr.アルマンが、ジャックにダンバー・グレーディーという男とその家族の顛末について語る。
グレーディーは、Mr.アルマンよりも前任者の管理人が雇っていた。
そんなグレーディーには妻と二人の子供がいて、ジャックと同じように冬の間ホテルを任されることになっていた。
しかし、1970年のその冬に悲劇は起きた。
グレーディーは斧で家族を殺し、自らは猟銃を口にくわえ自殺したと言うのだ。
警察は一種の閉所恐怖症だと断定したが、グレーディーもジャックと同じように、このホテルの呪いに取り憑かれてしまったと考えるべきだろう。
しかし、そんなグレーディーの存在はMr.アルマンの話だけでは終わることはなかった。
死んだはずのグレーディーは、ジャックの前に平然と現れることになったからだ。
前述のように、ジャックが2度目のThe Gold Roomに入りロイドと会話した後、ジャックはグラスを持って、会場を歩き始める。
と、そこに、パーティーの給仕スタッフ(冬の管理人ではない)として酒を運んでいたグレーディーはジャックとぶつかってしまう。
ジャックにはグレーディーが運んでいた酒がかかってしまい、グレーディーからトイレの洗面所へ行こうと誘われそのまま付いていく。
トイレに入ったその男は、自らジャックにダンバー・グレーディーだと名乗る。
そんなグレーディーの話をジャックは疑問に思いながらも、その素行を聞いていく。
その中でグレーディーは、ジャックのことをずっと昔から知っていたと告げ、さらにはグレーディーが家族を『躾け』たのと同じようにジャックにも同様に家族を『躾けろ』と促す。
そうしてジャックもグレーディーの声に耳を傾けてしまい、ホテルと森林警備隊とが繋がる無線機を壊し、いよいよウェンディに迫ろうとする。
このように、グレーディーの存在も謎に包まれていて定かにはできない。
一体グレーディーは何者なのだろうか?
仮に、このホテルの権威ある者の代弁者だとした場合、話の流れから推察するに以下のようなものが考えられる。
- 冬の管理人を時間をかけて洗脳していくこと
- 冬の管理人に危機が迫った場合助けること
- 冬の管理人に殺人という名のゲームを行わせること
もしこのような役目をグレーディーが行なっているのだとしたら、一体何が目的なのだろうか?
また、ジャックが食料庫に閉じ込められた際に、突如現れジャックに語った中で『自分たちの仲間』と言っていることから、グレーディー以前にもこのような人物がいたのは間違いない。
もしかしたら前任者(殺人者)は、次の殺人者を作るために毎年その役目を追うことになっていることも考えられる。
映画『シャイニング』は、グレーディーという存在のおかげで、さらに複雑に難解にしており、私たち観客をジャックのようにその謎から抜け出させないようにしている。
堅く閉ざされた237号室の女をどう考えるか?
ウェンディがThe Gold Roomにいたジャックに駆け寄り、ダニーが傷を付けられたのは「変な女」のせいだと伝え、ジャックを237号室に向かわせたシーンだ。
その部屋のバスタブには若い女と年老いた女がいた。
この女たちは一体誰なのか?
仮に若い女のことを考えるとグレーディーの妻だろうか?
では、年老いた女は誰になるのだろうか?
どちらも白人の金髪で風貌が似ていることから、同一人物と考えた方が自然である(と言うより他に考えたくないw)
となると、皮膚がただれていたのは年老いた女であるため、この年老いた女が実際の存在だと思える。
つまり、ジャックが見ていた若い女は、ジャックを呼び込むために年老いた女が化けた存在であるわけだ。
そうなると年老いた女がグレーディーの妻なのか?
しかし、それは考えにくい。
年老いた女を見た目で判断するのであれば、70〜80歳くらいであろうか。
一方、若い女は20〜30歳くらいであろう。
仮に、ジャックが1980年に見た年老いた女が80歳だとすれば、1920年、つまり60年前は20歳である。
仮説を立ててみると…
1920年にある若い女が死んだ。
1980年には、それから60年という年を重ねた女となって現れた。
では、その理由は?
物語の後半、ウェンディがダニーを守るためにホテルを彷徨い、階段を登っていくシーンがある。
すると、その先にはドアが開いた客室があり、そこには偶然にも奇妙な光景が見えてしまう。
ベッドに伏せている足しか見えない男と、その男の股の間にいる毛むくじゃらの『何か』。
そして、その毛むくじゃらの『何か』は、ウェンディに気づいたかのように起き上がってこちらを見る。
同じくタキシードを着た男の方も起き上がってこちらを見るが、それよりもその得体の知れない何かの顔は、どう見ても豚のような猪のような顔であった。
その何かの顔には、意味があるのか無いのか化粧をしているようにも見え、起き上がった男とは男女間のように親密な関係性であることも垣間見れる。
ウェンディのことを怪訝そうに見る二人の視線からかなり強引に推察してしまうと、237号室にいた「若い女」はこの何かといる「男」と関係があった。
その関係性は夫婦なのかは分からないが、親密な仲であった。
しかしその男は、1920年の舞踏会で知り合った女と浮気をしてしまい、若い女のことを傷つけてしまう。
つまり、言い方はひどく悪く申し訳ないが、ここではこの何かを『メス豚』という意味で表現し、若い女による怒りの視点で見させていると考えてもいいだろう。
若い女は傷心したまま237号室にこもり、バスタブの中で大きな恨みを持って自殺した。
その恨みは年を重ねるほどに強い呪いとなって現実に具現化し、自らの心を慰めようと237号室に入った者、特にジャックにしたように男に対して抱き合おうとするわけだ。
つまり、若い女は当時を表した女で、年老いた女が『今生きていたのであれば』ということを表した女の霊としても考えられる。
半ば強引な解釈ではあるのは否めないが、こう考えても面白いだろう。
237号室は1970年にいたグレーディーとの関係性を考えてしまうが、実は何もなく、むしろグレーディーもジャックと同じような経験をした可能性があるということだ。
1920年7月4日という過去をどう考えるか?
最後にジャックが写っていた写真の日付。
1920年7月4日、この日にこのホテルでは何かがあったのだろうか?
おそらくこの問いに対してはYESのはずだ。
この日に何かが起こった、そしてここから何かが始まったと考えるのが自然である。
そして、それは例えば大量殺人事件だろうか?
もしそれならば、その後は客足が遠のくことはほぼ確実なので、ホテルの存続は不可能だと考えていいだろう。
また、ホテル内に写真を貼っていることからも、1920年のその舞踏会をこのホテルに訪れる者に見せたいという意思が現れているため、やはりない。
もし、そんな大量殺人事件が起こってしまっていたのであれば、あのような写真一枚で済ませるわけにはいかず、死者を弔うための慰霊碑を作るのが世の慣例である。
では、大量殺人のような大きい規模の事件ではなく、小さい規模での殺人事件であろうか。
これならばありそうである。
そうして、最初の事件が起こり、60年という間で次々といくつもの新たな事件が起きて来た。
その直近の事件が1970年の冬の悲劇であり、グレーディーの殺人事件と考えても良さそうである。
それにしてもやはり問題は、このホテルの権威ある存在は一体何を目的としたのだろうか?
自分たちの罪を隠すことなのか、それとも180度反対に殺人という非人道的な行為をパーティーとして楽しんでいるのだろうか?
答えは出しようもないが、観客が想像したいと思う存在がいることで、この映画が一段と魅力的になっているのは間違いない。
まとめ
とにかく、この映画を原作抜きで解釈しようとすると、何とかこじつけするしかない。
説明もなく都合もつかないことが多すぎるし、あらゆる謎に対しヒントも答えも明確にされない。
もう、こういう映画なんだと高を括るしかない作品である。
しかし、この何が何だか分からない映画にしたからこそ、結果的に物議を呼んだのは間違いない。
これが、謎が全て解けてしまうような映画であったら、普通のホラー映画で終わってしまっていただろう。
しかし、そこはやはりキューブリックであり、映画『シャイニング』は、謎を残すと言うよりも、あえて『謎だらけにしてしまった』といった方が適切である。
さて、ジャックとウェンディという魅力的であり強烈なキャラクター始め、その他にも魅力溢れる登場人物たちの素晴らしい演技のおかげで、シャイニングは時代を超えて映画史に語り継がれることになった。
物語の内容上人を選ぶが、もし、あなたがまだ見たことがなく、これで興味を持っていただけたなら見てみてみるといいだろう。
そうして、自分自身で答えを考えてみるのも一興かと。