無人島でサバイバル!映画『キャストアウェイ』で知っておきたい生き抜く力の大切さと愛する人を忘れない情熱さ

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はじめに

今回は『CAST AWAY(キャスト・アウェイ)』の解説です。

ネタバレしていますので、読む際はお気をつけくださいませ。

映画の概要

あらすじ

貨物輸送会社FedExで働くチャックは、配達という仕事上、常に世界中を飛び回っていた。

そのせいもあって、仕事では常に時間という存在を大事にし、時間厳守をモットーとする仕事人間だった。

生活面では、プロポーズをする直前までの恋人がおり、順風満帆な日々だった。

しかしある日、チャックは仕事で呼び出され、乗り込んだFedExの飛行機が、突然の嵐に見舞われ、太平洋に墜落するという最悪の航空機事故を起こしてしまう。

からくも海に投げ出されたチャックは、夜中、雨と波に打たれながら何とか生き延びようと救命ボートにしがみ続ける。

そうして夜が明けると、チャックの目前に広がっていたものは砂浜だった。

キャスト・スタッフ・受賞歴

出演者トム・ハンクス、ヘレン・ハント
監督ロバート・ゼメキス
脚本ウィリアム・ブロイルズ・ジュニア
撮影監督ドン・バージェス
編集アーサー・シュミット
音楽アラン・シルヴェストリ
受賞歴第58回ゴールデングローブ賞(主演男優賞)

『CAST AWAY』を見て考えておこう、航空機事故の遭遇率と安全性

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航空機の事故というのは、交通事故などに比べると確率論的に言えば実に少ないものとされている。

運輸安全委員会による、日本の『航空事故の統計』年表を見てみると、ここ2008年からの大型機による事故は、10年間で平均は3.1件だ。

まぁ件数だけを見てもあまり意味がないが、それでも航空機に乗って旅行に行く際に事故に陥るという可能性は、かなり低い。

ちなみに事故に繋がる恐れが生じた『航空重大インシデントの統計』によると、大型機は平均4.5件になっている。

とは言え、ひとたび事故が起きればその人的被害が甚大なのは間違いなく、多くの犠牲者を出してしまう可能性は常にある。

1985年に起きた日航機(現JAL)の御巣鷹山墜落事故のように、この教訓は決して忘れてはいけない。

そして、この『キャスト・アウェイ』も航空機事故から始まる映画だ。

映画の趣旨自体は事故のことではなく、主人公がどう生き延びるかというものだが、それでも航空機に乗るという行為において、『絶対の安全は無い』ということを肝に命じておきたくなる映画でもある。

一人で役を演じることで生まれる、誰もいない無人島という臨場感

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『キャスト・アウェイ』を見れば分かるが、この映画がすごいのは、主人公のチャックのみの、ほぼ1人芝居の映画になっているということである。

第2幕の無人島シークエンスは、完全にチャックとその周囲しか映っていない。

しかも、恋人であるケリーや、チャックを探そうとする捜索隊や本国アメリカの話などのカットバックも何もないため、純粋に無人島でサバイバルする男だけの話になっている。

しかも、おそらく他の俳優も誰一人呼んでいないに違いない。(航空機スタッフのアルバート・ミラーは人形のはず)

したがって、無人島にいたのはチャックである、トム・ハンクスとスタッフだけであり、トムは本当に一人で演技をこなさなければならなかったはずだ。

それを考えると、トムは相当独自の考え方と判断が必要だっただろう。

しかし、だからこそ、主人公一人だけでもこれだけの胸を打つ作品になったのは確かだ。

実際に、別の映画のインタビューでトムは、「キャスト・アウェイが転機だ」と語っていたのを私は覚えている。

この映画ではまだ若い頃のトム・ハンクスではあるが、今に通じるトム・ハンクスの俳優魂というものを垣間見れる。

チャックが教えてくれる『気づく』という、誰しもが持つ普遍的な本能

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裏のテーマというか、もし作り手が意識しているメッセージ性があるとすれば、それは主人公による『気づき』だろう。

『キャスト・アウェイ』では、以下のようなシーンで主人公に『気づき』を与えている。

  • FedExの荷物が、波打ち際に漂流していることに気づく
  • 砂浜に『HELP』と書いたが、波で消されていた
  • ヤシの実(ココナッツ)を割るための石が砕けて割れ、鋭利になり、ヤシの実を効率的に割れるようになったことに気づく
  • 航空機スタッフのアルバート・ミラーが漂流されていることに気づく
  • 無人島から見て沖にいる、航海中の船に気づく
  • 火をつけるには、こすった方がいいことに気づく
  • さらに火をつけるには、空気の流入量を確保しなければならないことに気づく
  • プレハブの壁が風で倒れたことにより、風を利用できることに気づく

どうしてこれだけ多くの『気づき』のシーンを入れたのだろう?

そもそもの話で考えると、チャック一人しか無人島にはいないため、何かに気づいていかないと物語が作れないという点があるだろう。

しかし、それだけでこのようなシーンをいくつも作っているとは考えづらい。

おそらく『気づく』という、人間が『見て感じて思いつく』行為こそが、生き抜くための普遍的な本能と直結しており、窮地から救ってくれる力になるからであろう。

『キャスト・アウェイ』のような、人に頼ることができない状況に陥った場合、人は『気づき』によって物事を解決しようと努力するようになるのだ。

そして、ただ一つ、上記に書いたリストの中で、2つ目の『ヤシの実(ココナッツ)を割るための石が砕けて割れ、鋭利になり、ヤシの実を効率的に割れるるようになったことに気づく』だが、これは実に面白いシーンに仕上がっている。

もう少し詳しくこのシーンを書くと、チャックが、ヤシの実を割ろうとして、その辺にあった手よりも大きな石でヤシの実に叩きつけるが、ヤシの実が割れるどころか、石の方が割れてしまう。

そして、手に残った石はなんと鋭利になっていて、ヤシの実を割るのに最適な石になってくれたというシーンだ。

このシーン、正直偶然に石が割れたのだと思っていたが、実は脚本上にはそれに近いことが書いてあるのだ。

He throws down a bigger rock.

It smashes on the rocks and chips. Chuck picks up the rock.

OW! Where the rock had chipped the edge is sharp. It cuts

him.

チャックは大きな石を放り投げた。

そしたら石が粉砕されてしまったので、チャックはかけらの石を拾い上げた。

すると、その石は鋭利になっていたので、これでヤシの実を切った。

(Written by William Broyles Jr.)

若干映画本編とは違うが、この脚本でも結果的に石を割って、その石でヤシの実を割ることが書かれている。

脚本のシーンとして考えれば、拾った石が鋭利になっていれば構わないというようなニュアンスであり、最初から鋭い石を地面に用意しておいて拾い上げればいいという風に解釈できる。

しかし、映画では実際に石が割れていた。

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ということは、あんなに綺麗に割れる『作り物の石』をわざわざ用意したのか?という疑問が生まれてくる。

ところが、あのシーンをどう見ても本当の石が自然に割れているようにしか見えない。

おそらく推測するに『リハーサルで同様のことが起こり、それを本番でもやってみた』か、『本番中に偶然そうなった』か、のどちらかだとは思う。

ただ、どちらにせよ、あのように割れた石を見て、チャック演じるトム・ハンクスの演技の自然さが実に上手い。

石がどう割れるかは、ハプニングであり予想もつかない。

1回だけでなく、何度もやっているのかもしれない。

しかしそれに動じず、驚きと気づきをきちんと体現できているということが、表の陽気さとは違ったトム・ハンクスの凄さなのかもしれない。

自然に明示されるチャックの目的

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映画では、なるべく早いうちに主人公の目的が認知できるようになっていると、観客には物語を理解する上で優しく、そして明確になる。

だから、作り手は何とか主人公の目的を早々に示したいと考えるが、あまりそれに固執してしまうと今度は主人公の説明や性格の明示とのバランス、そして最後までそれを持続させるということが難しくなってくる。

また、可能な限り、目的は映像の中だけで流れるように示したいとも考える。

『キャスト・アウェイ』で考えると、チャックは残念ながら、無人島に一人で過ごさなければならないという不運な状況に陥ってしまう。

そして、あらゆる困難に打ち勝つために、もがき苦しながら生き延びようとする。

つまり、『チャックが生き延びる』ということが主人公の目的であり、『キャスト・アウェイ』の物語になる。

これらは、何の説明もなく観客にも理解できるようになっている。

このような目的の提示は、実に優しく物語が理解しやすい。

そして、その先の展開も観客は想像しやすくなる。

チャックが生き延び、元いた故郷に帰れることを、観客は願わざるを得ないのだ。

『CAST AWAY』が教えてくれるサバイバル術の必要性

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私たち現代人は、文明の利器に頼ってばかりであり、自らが窮地に立つことはほとんどない。

しかし、自然の脅威は常に身近に潜んでおり、災害は世界中で多発している。

そのような危険な状況に遭遇してしまった際に、『キャスト・アウェイ』はどう行動すべきかという知識や判断を知る良いきっかけになる映画だ。

文明人であるチャックが、自然に打ち勝つ強さをどれだけ備えているか、私たち含めて非力な人間の力量を試している。

それは、いくら文明的な仕事ができたとしても、何もない無人島で一人で生きていくことがどれだけ困難かを象徴しているようだ。

ただ、人間は、その困難に打ち勝とうとする意思を持てるし、人間誰しもがそのための行動力を持ち合わせている。

道具が無ければ作ろうとするし、食料を摂取するためには試行錯誤して確保しようとする。

人間の生存本能がある限り、自然を味方につけようと抗うことができるのだ。

ただし、それらを可能にするには、いかに過去の経験や体験で身につけられているかという点だ。

チャックが生き延びられたのは、サバイバルに対する多少の知識があったからこそである。

観客にはそれを暗に伝えており、窮地に陥った場合に、より広範囲な知識や経験・体験が役に立つことになるということを教えてくれている。

『キャスト・アウェイ』は、様々な問題を絡めて、私たち観客に『生きる』ということへの警鐘を突きつけている。

そして忘れてはいけないのが、生きたいと願う根幹には、家族や愛する人に会いたいという『希望』も必要になるのだ。

『ウィルソン』という名優の存在

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チャックが無人島に降り立った後はひたすら一人だ。

人間はおろか動物すらおらず、話し相手となる者は誰もいない。

そんな状況下で偶然にチャックが作ったキャラクターが、バレーボールの『ウィルソン』だ。

ウィルソンは、チャックの血がついたバレーボールであり、その血をチャックが拭き取って顔になったことで生まれた。

それ以来チャックは、ウィルソンに対し悪態をつきながらも、チャックが妄想する自分勝手な交流をウィルソンと始める。

そして、言葉を発しないバレーボールを親友のように扱っていくことになる。

チャックがやっていることは子供の人形ごっこだが、この映画の最も深遠なテーマであると言える。

それは、人には元々『アニミズム』という、物には魂が宿るという考え方が備わっていることに由来する。

チャックのように、自分以外誰も存在していない世界では、自己のアイデンティティというものが無くなっていってしまう。

それが意味するのは、人としての人格が損なわれていってしまうということだ。

しかし、人間には集団意識という自覚も備わっているのでそれを良しとして考えない。

どんな相手でもいいから、近くに『誰かという存在』がどうしても欲しくなることになる。

それが、チャックにとってのウィルソンだったわけだ。

そして、これを映画の作りから考えてみよう。

まず、映画にとって、主人公一人だけの映画というものは成立しない。

必ず誰か他の人物が必要であり、これはたとえ『キャスト・アウェイ』の舞台となる無人島でも同じことだ。

そこで、バレーボールに顔を描いてキャラクター化したわけだが、このバレーボールというのが実に上手い。

その理由は、バレーボールが人の顔と同じくらいのサイズで、しかも丸いからだ。

つまり、キャラクターにさせやすい。

これが既存の人形やぬいぐるみだったら、キャラクターを生ませる必要はなく、最初からそれと人形ごっこをさせればいい。

しかし、その場合、そのキャラクターとの交流は短時間で終わるだろう。

なぜなら、それは既に作られたキャラクターだからだ。

チャックもバカバカしくてやってられないはずだ。

チャックが、どうにもこうにもならない状況下でキャラクターを作るという事実があるからこそ、ウィルソンに愛着を持てることになり、チャックが望む対話相手になってくれるのである。

そして、チャックと4年以上も交流をした親友ウィルソンには特別な感情が宿っており、それは観客にも同様の感情を持たせることに成功している。

チャックと海に出た後、お互いボロボロになりながらも最後に別れるシーンでは、なぜか本当に生きていた存在との別れに見えてしまう。

ウィルソンという名優に乾杯である。

『Four years later』

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チャックが無人島に辿り着き、何とか生き延びることができそうになったあと、時が過ぎることになる。

その過ぎた時間は4年だ。

どうして4年という歳月にしたのだろうか?

これは4年よりも短い時間だと主人公の成長は少なく、また誰かに助けられる可能性があるのと、チャックにとっては辛いことだが、4年も経てば世間がチャックを忘れるのにも丁度いい時間というところだろう。

反対に、4年以上過ごさせてしまうと、チャックがあまりにも変わり果ててしまい、観客とのギャップが生まれてしまう。

それに今度は世間が忘れ過ぎてしまうことになる。

そのため、このちょうど4年という月日が、過ぎ去りし時間として絶妙なわけだ。

それにしても、4年経った後のチャックの変わり果てた風貌からは、あまりにも多くの苦難があったことを物語らせている。

観客はこの姿を見ると悲痛な感情に支配されることになり、チャックがどのように生きながらえたのか?自分だったらどうだっただろう?と、多くの想像を巡らせることになる。

4年という過ぎ去りし時間は、観客にとっても自分自身と照らし合わせて考える良き時間になっている。

『CAST AWAY』はハッピーエンドなのか?バッドエンドなのか?

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チャックは、島にたまたま流れ着いた直角に接合されたプレハブの板を手に入れ、風を受けるための帆として利用することを思いつく。

つまり、とうとう島を離れるためのきっかけが生まれたわけだ。

そして、そのあとは無我夢中でいかだ作りを始める。

それは、何としてでも帰りたいと願う気持ちがあるからだ。

観客も、故郷に帰れず絶望に打ちひしぐチャックを見たくはなく、希望を掴みそうにあるチャックを見たいと願う。

そして、いよいよいかだを作り終え、出発し、幾日もの航海を続ける。

途中、親友だったウィルソンとの別れを経て、文明の塊である巨大なタンカーにチャックは助けられる。

観客は安堵するも、今度は別の感情が湧いてくる。

それは、いざチャックが助かってしまうと、チャックの生活の全てが心配になってくるというものだ。

果たして帰っても、4年という時間を経て無事に生きていけるのか?居場所はあるのか?ケリーとはどうなるのか?と。

漂流後すぐに救出されていれば、こんなことを考える必要はないのだが、4年もの月日が経ってしまうと、なぜだかガラッと反対の心配事が生まれてきて面白い。

しかし、問題はそのあとだ。

チャックは助かったらケリーと会えると思っていた。

また、前のようにケリーとの愛を分かち合えると思っていた。

これは観客も同じ気持ちだ。

しかし、待ち望んだケリーとの対面に訪れて来たのは、ケリーの夫と名乗る人物だった。

それは、チャックだけでなく観客の誰もが不意を突かれた事実だった。

チャックとケリーが再会すること、ただそれだけが観客とチャックにとっての唯一の希望だったからだ。

しかし、チャックはどうしてもケリーに会いたかった。

そして、半ばストーカーのようにケリーの家に行き、ケリーと対面する。

これは、どうしても観客にチャックとケリーの行く末を見せる必要があったからだ。

お互いが別の道を歩むためには、きちんとした別れを示さなければならない。

観客も薄々二人が結ばれることはないという展開を感じてはいるが、その結末を知らないふりをする。

そして、航空機に乗る前に二人が乗っていた黒い車が出てくる。

ケリーが鍵を渡し、チャックは車をゆっくりと走らせる。

いよいよ別れの時だ、と思う中で、ケリーはチャックが乗った車を走って追いかけ、チャックもそれに応え、車を止める。

そして、二人は思いの丈をぶつけるかのように抱き合う。

しかし、二人の表情には複雑な思いが溢れており、観客にも喜びと苦悩が舞い降りることになる。

もう、元の二人には戻れないというとっても辛いシーンだ。

では、この『キャスト・アウェイ』のエンディングは観客が望むハッピーエンドになっているのだろうか?

当初のチャックの目的は、元いた場所に帰ることであり、これは苦難の末、成し遂げられた。

しかし、チャックの唯一の希望であった最愛の人は、もはやチャックを待ち続けてはいなかった。

観客にとっては、単純に喜ぶことができない結末になっている。

主人公が無事生還して愛する人の元へ帰るという映画にしなかったというのが、この映画の賛否が分かれるところだろう。

ただ、別の見方をしてしまえば、新しくスタートを切れるというメッセージだろうか。

生きてさえいれば、そして生きようとする意思さえあれば、何とかなるはずだと作り手が言っているようにも思える。

つまり、人生は結局どこにいてもサバイバルであり、それを切り開くのはやはり自分自身だということだ。

それを補完するように、オープニングとエンディングは結ばれるように作られている。

そのシーンは、今後の行く末を黙って見守ろうという雰囲気だ。

四方に延びた道を見てチャックには次に何が待ち受けているのか。

それは、観客の想像に委ねられている。

まとめ

『キャスト・アウェイ』の個人的評価
物語性
(4.0)
作品性
(3.5)
感情移入度
(4.5)
視聴覚効果
(4.0)
視聴価値
(4.0)

『キャスト・アウェイ』は、生き続けること、そして希望を持つ大切さを教えてくれている。

大きなお世話だが、自分も含めて、今、何かに悩み苦しんでいる方は、この映画をちょっとでも思い出してみるといいかもしれない。

そこにはもしかしたら、まだ見えない何かに近づけるための一歩が垣間見えてくるかも。

願わくは、そうであってほしい。