映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』はここがスゴい!

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映画について

1985年にアメリカで公開されたSFアクション・アドベンチャー

簡単なあらすじ

マーティという青年が、親友であり科学博士でもあるドクが作ったタイムマシンに乗ることになってしまい、1985年から1955年の過去へとタイムスリップしてしまう。 当然ながらマーティが過去の人間ではなく未来の人間であるため、過去のドクに協力を仰ぎながら未来へ帰ろうと模索するも、ひょんなことからその時代の母親が自分に恋してしまった。 このままでは父親と母親が結ばれないばかりか、自分自身が消えてしまうことになってしまう。 マーティは何とか父親と母親をくっつけようと奮闘するが…。 果たしてマーティの未来はどうなってしまうのか?

はじめに

当ブログの映画ページでは、映画の魅力をより伝えられるように、私の視点で「レビュー」や「感想」を書いています。(ネタバレ含みますのでご注意を!)

例えばこのシーンを見ると、より感情的配慮があったり、技術的に訴えているなどの意味合いなど、細かい部分などにあたります。もし、お手元に映画があるなら一緒に見てもらえると、より分かりやすいと思います。

もちろん、私自身勉強しながらの分析なので、皆さんとの見方と変わることや間違っていることも多々あるかもしれません。

でも、そこは映画という芸術の感想や意見であり、議論が活発になることはむしろ喜ばしいことだと思っているので、皆さんも色々と思考を巡らせてもらえたらなと思います。

それでは始めて行きます!

抑えておきたい6つの名シーン

教頭先生に見つかった!

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遅刻したマーティと一緒にジェニファーが教室に向かうシーンです。

ここは、教頭先生がいないことを確かめようとジェニファーとマーティーがT字路の廊下から覗き込みをします。

画面では左の廊下からにょきっと顔から出てくる感じでスピードは早めです。

この早さだと何かに怯えながらという訳ではなく、あくまで教頭先生に見つからなければいいという感じで、高校生っぽさが感じられます。(実は高校生なんですよね、この二人w)

そして、マーティ達が教頭先生がいないと安心して二人で会話を始めた矢先に、何と教頭先生が同じように左の画面外からフレームインをしてきます。

当然マーティ達は面食らい、言い訳がましいことしか言えません。

さりげなくマーティ達は左の廊下から、教頭先生は堂々と左の画面外からというのが上手く対比をさせた面白い画面構成です。

そして説教が始まり、教頭先生のキャラクター像をはっきりさせ、マーティーの父親との関連性とマーティー自身について話していきます。

その後のシーンでは、学園祭へのバンド出演でマーティーたちのバンドが落ち、父親であるジョージが、ビフに仕事で詰め寄られた結果、父の威厳の無さが露呈されていきます。

この親子がどのようなキャラクター像なのかを、短いながらにしっかり予見して伝えているシーンです。

余談ですが、過去でも教頭先生やっぱり画面の横側から出てくるようにして、神出鬼没で厳格なキャラクター性を見せています。

ドクの初めての登場シーン

タイムマシンの実験をこれから行うシーンです。

ここではドクがマーティにビデオカメラで一部始終を録画することを促されます。

当然見ている誰もが発明の記録のためだと思いますが、実はトラックから出てきた車が何なのか、そしてこれからどういうことが起きるかを自然に説明させることに一役買っているのです。

想像してみて下さい。ここでドクがマーティーに、あーだこーだタイムマシンについて説明するシーンを入れていたらどうなっていたか。マーティは疑問に思ったらベラベラと話し始めてしまいます。となるとその都度余計な説明を入れなければならず、無駄に時間を浪費することになってしまいます。

しかし、このシーンではタイムマシンの実証を早く視聴者に見せようというシーンのため、マーティにビデオカメラを回させる(黙らせる)仕事を与えることで、視聴者にも疑問の余地を与えないようにドクの語りを優先させているわけです。

しかも、このビデオカメラが過去に行った際に貴重な証拠となり、過去のドク自身へのメッセージになります。そして、マーティがドクの助手的立場や友達であるという意味合いを自然に明確にさせています。カメラという道具を自然な形で重要なアイテムへと仕立てあげているのですね。

またこれは余談ですが、この映画で過去の回想シーンは出てきません。なぜならこの映画にとっては過去が未来のシーンとなっていくからです。

喫茶店に入ると未来の父親と市長がいた!

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マーティーが、父親であるジョージとビフとのやりとりを経て、自分の父親に驚いているところに店員のゴールディが突然登場します。

この店員の登場で、何も言葉が出てこないマーティーを結果的に助ける格好にし、そして、その男に対しマーティーも深く考えず「そうだ!アンタ市長になる!」と予言めいた言葉をつい漏らしてしまいます。

この場では、街を浄化したいというゴールディの気持ちの前に店長から床を掃除しろと言われてしまいますが、未来では市長になって実際に浄化として時計塔の取り壊しを主張しています。そして、その取り壊しに対し、マーティはこれまた深く考えず反対運動へのカンパを未来でしていました。これから先、自分を過去から未来へと帰してくれる重要な時計塔になるにも関わらずです。

何とも奇妙な仕掛けを作っています。

ジョージには群衆のシーンが多い

ジョージにはマーティと二人きりにならない限り、多数の誰かが必ず周りにいる構成にしています。

これは、ジョージが特別な人間ではなく、普通の人と変わらないことを示唆しています。そればかりか、敢えて劣っているようにも見せ、ジョージの自信の無さを垣間見せています。

そして、ビフを近くに配置することでビフの存在を大きく見せ、更にジョージを貶めています。加えて、弱いジョージと強いマーティの立場も強調し、挙げ句の果てに、ロレインがマーティの家を突き止めてみせるという強い気持ちを表す中、ジョージはその場から立ち去ってしまうほどです。

これらは、敢えてこのようなジョージの弱いシーンを見せることで、これからジョージがヒーローになるべく伏線を連ねているわけですね。

ジョージの洗濯

この構図では、後ろの道の線が2人が親子だという切っても切れない関係性を示し、洗濯紐にぶら下がった洗濯ものによって二人が家族的だという象徴を表しています。

そして、後半のジョージがビフを倒しダンスをした後に、ジョージ、ロレイン、マーティの三人が話すシーンがありますが、ここにはロレインがジョージとマーティの間に立っていて、まさに欠いていた家族の関係性が構築(修復)されたことを示しています。(洗濯物からロレインっていうのはどうかと思うけどw)

ジョージを見守る守護神

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ジョージがパーティー会場で暇を潰しているシーンがあります。どのようなパーティーかを視聴者に説明している傍ら、実はとても重要な構図にしています。

一瞬ですが、このシーンでジョージは海の神ポセイドンの像と同列に並んでいます。ポセイドンはとても力が強い神であるのですが、この時点でジョージはそのような力があるとは誰もが思えません。

しかし、ここで敢えてそのポセイドンと肩を並ばさせている理由は、この後のビフとの戦いを予見したメタファーになっているわけです。

そして、ジョージがビフを倒しにいく場面ですが、ジョージは自分から群衆(パーティー会場)を離れ、車に向かいます。時間に押されたせいでもありますが、多数の人と同じであることから分かれ、一歩を踏み出したわけです。

そして、ビフを倒した後は今度は多数の群衆がビフを囲むことになる中、ジョージたちはゆっくりとその場を離れて行きます。

まさに勝者の貫禄です。

しかし、パーティー会場では今一度ジョージに勇気があるかを試されます。ジョージの勇気が偽りでないことを証明するためです。

ロレインを奪おうとした男にジョージは一瞬くじけそうになりますが、その男に向かい「どいてくれ」と強い気持ちを持って相手をどけ、ロレインとキスをします。視聴者としても、マーティとしても安堵できる見事なジョージの勇気です。

そしてその中で、もう一人その勇気ある光景を見ている者がいます。そう、あのポセイドンなのです。

未来に帰ったマーティは、ジョージの車のワックスがけをしているビフを見ます。ジョージとマーティはビフを見下ろし、ビフは見上げる。このシーンで初めてマクフライ家とビフとの立場が入れ替わったことを表しています。

あんなに背が高く威厳のあったビフが、ここでは本当に慎ましい姿になっていて、過去のジョージがあれからどう歩んできたかを何となく想像させてくれます。

まとめ

この映画はマーティを始め、主要なドク、ジョージ、ロレインそれぞれが自分自身で行動し始めるための映画だと思っています。

そして、行動すれば何かが変化し、その変化が自身を成長させるための糧であり未来になるんだと、視聴者にも訴えているような気がします。